ウィズコロナがもたらした社会的空気

コロナ禍が始まった頃、WBSで「コロナに思う」と題して各界著名人のメッセージを短く伝えるシリーズをやっていました。始めはノーベル賞受賞の科学者などの専門家や各界のオーソリティでしたが、次第にさまざまな方が登場するようになりました。その中で印象深かったのが元陸上競技ハードルのオリンピックメダリスト為末大氏でした。

内容はごく私的な視点で、「先が見通せない今、不安を克服するために自分に3つのルールを課した。」そうです。正確に覚えてないとこもありますが、おおよそは次のようなことでした。

  1. あれこれ考えない。
    自分にとって大切なこと、ひとつだけを考える。それは家族・仲間・スタッフ。
    先のことを考えない。
  2. 優しい気持ちでいる。
  3. 自分の心をケアしながら一日を過ごす。

ああ、これ。ごくシンプルにこの状況下での「あるべき本質」なのかも、と思いました。

為末さんは自分に課した、と話されましたが、私的には課すまでもなくこれに近い状況で、それは今でも続いていて、ほぼ次のような感じになっちゃってます。

  1. あれこれ考えられない。今やることしか考えがまとまらない。
  2. ニュートラルな気分(今の気分がわからない)←優しい気持ちではない^^;
  3. そんな自分をぼんやり眺めている。(自分の心をケアするまでは至らず)

コロナに配慮する日々が半年以上になった今では感染者数に注目する度合いも薄れ、外部の出来事に気を払うことも薄れてきました。考えることが極端にピンポイントになりそれもピンぼけ気味。

体調の悪さにいささか引っ張られることはありますが、体調を見ながら、それに動揺しないように心をケアしているだけ、その程度にしか注目しない。そんなこんなで日が暮れます。

そして、これ、案外心地よいのです。

心地よいのですが、この作業はそこそこ胆力が必要です。胆力というのが的確かどうか、いささか疑問ですが。
胆力の限界に来ると、このスタンスを放り投げて慣性(日常)に埋没します。心地よいやり方が分かっているのに続けられないから、やはり何かのパワーが必要なんだと気づくわけです。

身近なことでは見たいわけでもないテレビを見るともなくつけている。
なにか調理する。
調理した以上、空腹でもないのに食べる。
そして、あ~あ、疲れたぁ~となります^^;

見るともなくつけたテレビの音声は耳に突き刺さります。
タレントは次の仕事につなげるために視聴者に刺さるように意図して発声してますから、言っている内容問わず耳に突き刺さります。これが痛い。生理的痛みになって耳が疲れますよ。
テレビを消した途端に耳が開放されて、やれやれとなります。皆さんはそんなことないかしら。

 

為末さんの2番目にある「優しい気持ちでいる」っていうのがないんですけど^^; そこまでいけないまでも、出来事や心に浮かぶ情念などに「あれこれレスポンスしない」という段階。これ、私的には上出来かな~w

なんだかんだで心が疲れないように配慮して暮らすのは歳のせいなのか、コロナがもたらしてくれた社会的な空気のお陰でしょうか。その両方かな。
歳を取るだけではなかなか気づかないことにウィズコロナでようやく気づいたのかもしれませんねぇ。

 

 

にほんブログ村 シニア日記ブログへ

 

スポンサーリンク
おすすめの記事