脳のアップデートに伴うプリインストプログラムの起動|決めれば実行される

ようよう復調しました。回復にいつもの2倍くらい時間がかかった気がします。まだ、頭の奥、肩甲骨や肩関節の奥に根っこが残っている感じはあるものの、日常の動きにさしたる痛みを伴わなくなりました。
以下は先月末に書きはじめていたものです。

 

夏至前後から空気感が一新されて、より微細でやわらかい空気になっていますね。川沿いなので、猛烈な暑さになる日でも10時くらいまでは河原に気持ちよく居られます。
昨日のことです。

そろそろスイッチいれるかな・・・。入れなきゃ先に行けないしなぁ。
まー、先に行かなくてもいいけど、退屈だしなぁ・・・。

という気分になりました。
何のスイッチ?
それは生まれたときからすでに自分の中に用意されているのに、そのことにも気づかず、起動していないプログラムのスイッチです。

YouTubeにはいわゆる霊能力が発現したとか、高次元存在や、誰もが知る神様とか天使からコンタクトがあった、とか、自分が地球に生まれた使命を思い出した、とか、果ては「悟りました」などという人が湧いていますw 大半が30代から40代くらいの女性ですね。いくつか動画を見ると「ああ!勘違い」な人だとわかります。どこらへんでわかるかというと、起きたことに対する疑念がないのです。通常ありえないことが自分の身に起きたことを、肯定的に、歓迎してすんなりうけいれています。介入してきた存在に対して不信や不安がないんですよ。相手が自称した「文明の進んだナンタラ星人」「天照大神」「龍神の使い」などw それをそのまま信じ込んでいる。

なぜ自分の身に起きたのか?という疑念があっても、相手に「あなたは使命を持って地球に生まれた。その使命をサポートするのが自分のミッション」等と言われて、あっさり納得します。そして、妙な自信、マウント感が湧いているw

この人たちは基本的に素養が低い。そこまでいうのが失礼なら、特定分野だけでも突出した知見があればいいのですが、そうではなく一般的に教養がない。これまで祝詞など眼にしたことも声に出したこともないと思われるのに「瀬織津姫が降りてきた」などと語りますw 物理学の本を読んだこともないのに「量子的に」などと語ります。
「メッセージを託された」と語るのですが、単に右から左に話しているだけで、内容を自分で咀嚼するという過程がありません。

一方で、はせくらみゆきさんとか、木内鶴彦さん、増川いずみ先生、板野肯三先生など私が信頼できると判断しているサイキッカーは違います。この方々は大半がシニア世代で、これまで特定分野で実績を積んだ方です。長くサイキックに関しては封印したり、ひとには言わずにこられた方が多いです。

表現はいろいろですが、「宇宙存在」「非物質存在」に教えてもらったことをそのまま受け入れるのではなく、これまで地球存在として経験、推敲され、著述されたものを徹底的に調べ、読んで、自身の経験を踏まえて検証する、ということをされています。納得できないときはペンディングされているようです。サイキックで得たことを専門分野でヒントにされたり、思考のテーマにするということをされてきて、ようやく世間の機が熟したと判断されて表に出すようになったと話されています。

やっていることは似てるようでも本質が全く異なります。私見ですが、にわかに湧いているサイキッカーもどきグループは、遠隔マインドコントロールされていると思います。そういうテクノロジーがあります。「憑依」という現象、結構多くの方がご存知と思いますが、あれをテクノロジー化してるんですよ。誰が操っているかはともかく、操られているのは確かです。

話がズレつつあります(>_<)

これまでにない能力が発現すると、その取り扱いは大変だと思っているんですよね。まず、それがマトモかどうか?これ、なかなか難しい判断だと思うんですよ。
例えば、これまで見えなかったものが見えたとして、それは自分で見ているものなのか、見せられているものなのか?操られている可能性はないのか?と考えるでしょう。

瞑想は30代初めに*本山博先生の瞑想道場で始めたのですが、参加している人の大半は「超能力」を求めていました。私はといえば、そもそもダイエットで始めたヨガ教室で瞑想をやった時、いかにも嘘くさかったのですw 「まともな先生についてきちんとやりたい」と考えて、あれこれ本を読んで本山先生を知りました。

【本山博先生プロフィール】 公式サイト
超能者的に捉えられていますが、学者・ヨギ・神道宮司。
ご自身は「学者だけをやりたかった」と話されていました。

宮司でもある本山先生の玉光神社では毎朝瞑想会がありましたが、会社勤めのため休みの日だけ行っていました。お宮の清掃をしてからの瞑想は清々しくて真面目に通いました。定期的に小田原の道場での瞑想合宿も参加してました。飽きっぽいのに、結構続けてきましたねぇ。

本山先生の瞑想は各チャクラを活性化を目的とします。チャクラの活性化に伴っていろいろな変化が生じます。チャクラの特性に応じた超能力が発現します。各チャクラをバランスよく活性化させるのが重要とされ、それを観ることのできる師なしに行うのは危険とされています。

熱心な参加者の中には、ひとの具合の悪い場所が特定できたり、病気治しできるようになった人がいました。その中のひとりが本山先生に「アナハタチャクラを使って治しているけど、そこばかり使っていると心臓をやられるから止めなさい。」と言われたにも関わらず、続けてしまい、結果的に数カ月後に心筋梗塞で亡くなりました。
本山先生は「不思議を求めてはいけない。一過程でしかない。それは魔なのだから。」と常々話されてましたが、大半の人たちは耳に入っていなかったようです。
「あなたは熱心に結構長くやってるけど、何も起きないの?」といささか上から目線で言われたこともありました(>_<)

先に書いたように、下手な能力が出現して自分を見失うことになったら面倒くさいと思っていましたよ。「人には出来ないことができる」と妙にマウントを取る人たちを見て浅ましいと思っていました。

せやで。超能力求めてるんは、まぁいうたら現実逃避やからな。
麻原彰晃のオウムに集まった連中は、その最たるもんやで。
*ちなみに麻原彰晃の著書は本山先生のまるっとパクリでした。言説もそうであったのは間違いないでしょう。

長々と書いております(>_<)

長い間、超常的能力の発現を否定してきたのですが、冒頭に書いたように、ふと、そろそろいいかな、という気持ちになったのでした。それが自分として!でしたので、記録的に書きました。いつか、ああ、こんな事を考えていたのか、と読むこともあるかも。

 

先日の7月5日についてショーゲンさんがブンジュの村長に聞いたという「日本人が忘れていたことを思い出す日」というのは、こういうことかも、と思うのです。なにかが変わる転換になる日だったのだろうと。
「7月5日」にこういう見方があると知らないタイミングで「そろそろいいかな~」という気分になっていたのは、すでにその流れに入っていたからなのかも。

 

ひとは誰でもプリインストールされたいろんなプログラムを持って生まれていて、何千年もの間、それを封印されてきたのだそうです。(封印して支配してきた勢力の存在がある、とされています。)

プリインストールされているのなら、インストールして起動すればいい。それだけで使えるようになる、そんな気がします。決めればいいだけ。特別な準備は必要ない。そんな気がするんですよ。

 

 

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