たまたまみたNHK、Eテレの「あしたも晴れ!人生レシピ」で片岡鶴太郎さんがゲストでした。(10月19日 再放送10月26日)
片岡鶴太郎さんは、1日1食の少食実践者で、徹底したヨガ(本格的瞑想ヨガ)をやっており、ストイックなイメージが定着していますね。
私が『ちょっとこの人は違うぞ。』と思ったのはプロボクサーになった時です。『この人はお笑いやってるけど、ハンバない根性があるんだ。』と思いました。
プロボクサーテストの受験資格である29歳なのに当時鶴太郎さんは33歳で、仮に合格しても試合は出来ない。試合できないのにトライする事がすごい。
そして特別なはからいでプロテスト受験でき、見事に合格。その後はマネージャーやセコンドとして鬼塚勝也選手、畑山隆則選手の世界王座奪取に大きく貢献したのです。
単に興味があってやってみた、にとどまらず、きっちりプロの業界で存在感を示すまでやる、というのがすごいですね。
その後は実力派俳優として活躍。
35歳の時に棟方志功の役を演じたことがきっかけで水墨画を始めて、そののち書も始めた。
画家としても一流で、京都の善峯寺のふすま絵は、緑の池に泳ぐ鮮やかな白と赤の錦鯉で、モダンで印象的な作品ですよね。
この錦鯉の雰囲気の「ブランド鯉のぼり」は知る人ぞ知る人気作品ですよ。
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2012年から、瞑想へ関心をもち、5年目の2017年にはインド政府公認「プロフェッショナルヨガ検定・インストラクター」のの難関のレベル1(全4段階中)に合格しています。おそらく日本人でここまでの人は少ないのでは。
番組で鶴太郎さんがナウリをやってるとこが出ましたが、「ナウリ」をみるのは初めてでした。これができる人って滅多にいないのですから。
「あしたも晴れ!人生レシピ」番組中では、瞑想に興味を持った切っ掛けは更年期障害で体調が悪かったこと、と語っていました。相談した秋野大作さんが紹介してくれたインド人のヨギに師事して、1日4時間のヨガを続けてきたそうですが、それは世間で言われるようにストイックな自覚はなく、自分が楽しいからやってこれた、と軽やかに語ります。
鶴太郎さんの眼ってとてもすてきですよね。真っ黒でツヤツヤして子供のように好奇心に満ちた輝きを放っています。
やってきたことは、ストイックそのものにしか思えないのに、肩に力が入っていなくて透明感があります。何か、突き抜けた清々しさが漂っていますよね。
話が突然飛びますが(^^ゞ
数日前に「凄み」と言う言葉が浮かんできたんですよね。
「凄み」って「鬼気迫る」とか、「気迫」とか、そういうイメージですよね。自分の辞書にはない単語。
なんで、この言葉が浮かんできたのかなぁ・・・!?
なんか意味あるんだろうけど・・・と。なんだろ?
とぼんやり抱えていました。
たまに(数年に1回とか)こういうことがあります。
それで、あらためて「凄み」を検索しました。
一般的な意味は「人の心に強く迫る感覚のこと」であり、言い換えや別の言い方は・・・凄さ ・ すさまじい様子 ・ スゴさ ・ 迫力 ・ 威圧感 ・ 迫力感 ・ 圧迫感 ・ 抑圧感 ・ 凄み ・ 気迫 ・ 殺気 ・ インパクト ・・・などですね。
検索の中に面白いものが出てきました。
~ 凄みとは、「ジョジョの奇妙な冒険」に登場する最強の概念である。
「覚悟」や「黄金の精神」 と同一視できる。
とあります。
「覚悟」! ふぅ~ん。
で、ここで片岡鶴太郎さんの話しに戻りますが(^^ゞ
片岡鶴太郎さんはまさに「凄みの人」なんですね。
自分なりの解釈ではありますが、「人の心に強く迫る感覚」とは、その人の「存在値」とも言える「ここに在る意志・覚悟」であり、鶴太郎さんは「覚悟をもって生きている」。
ご本人がそう意識しているかどうかはともかく、在り様は明らかにそうです。
そして、「凄み」が突然浮かんできた意味につながりました。
「凄み」が浮かんできたのは「ここに在る意志を持て(意志を持ってここに在れ)」であり、その「覚悟をきめよ」というメッセージだったのだ。と合点したのです。
今自分の状況は、袋小路のどん詰まり、どないもこないも・・・なんですが(^^ゞ
それがなにを促しているのか・・・、なにか必要があって用意された状況なのだろうが・・・とぼんやり抱えていたのです。
私はこういうとき、「どうしてこうなったのだろう。なにが悪かったのだろう」とはまったく発想しないのです。根っからのオプチミストなのか、甘ちゃんなのか・・・。こうなったのは、何かに気づけ、ということだろうけど、それはなんだろう。と思います。それがなんなのか、こうなってからまったく思いつかずに増した。
数年前に「律」と言う言葉が浮かんだことがあります。鮮明に意識に上がったので気付かないふりが出来なかった。
ですが、「律する」というのは自分にはもっとも避けたい行動なんですね。
私は綿毛のようにふわりふわりと気ままに過ごしたいのです・・・。
なので、「律」というメッセージを感じても、覚悟が出来ず、正面切って対峙できなかった。それで、そのままやり過ごしてきました。2年くらいかな・・・。
それで今度は少し視点をずらして「凄み」と言う言葉と、テレビで鶴太郎さんを見る流れが来たのだと合点しました。
ここまで見事に流れがつながったのだもの、メッセージを受け取るしかないかぁ。
というメッセージに他なりません。
あ~、気付いてしまったぁ・・・。
気付いてしまったなぁ。
気付いた以上、やるしかないのか・・・。
と、大人になるのが嫌な子供の気分です。 69才知近いのに(๑•́ ₃ •̀๑)
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