片岡鶴太郎さんの「心の中に静を持つ」で触れられている、極少食の解説(?)本「無病法」(ルイジ・コルナロ著、中倉玄喜翻訳・解説)を読み終わりました。鶴太郎さんが読んで刺激を受けたというので、とても期待して読んだのですが、拍子抜けでした。
ルイジ・コルナロという人は中世イタリア貴族で1464生まれ、1566年に102歳まで生きていた人で、当時はあちこちで講演して大盛況だったそうです。
同時代のレオナルド・ダビンチなどよりはるかに有名で、ヨーロッパ全土で知られていたそうです。
40代に貴族の飽食であらゆる病気にかかり、食べる量を限界まで減らすしか生き延びる方法はない、と医者にいわれて極少食を実行。
するとたちまち病気が治って、心身とも調子がよくなった。その経験から、あちこちで講演をし、その時の記録が残っていて、それらの記録をもとにこの「無病法」が編纂されています。
私は、これまでに少食をすすめる本はほぼ読んでおり、いくつかの本を参考に実践したこともあります。それらは大半、病気を治す目的で書かれているので、健康そのものの私が実践しても、大きな変化(続ける意欲を持続させるに足る変化)はなく、いつしかもとの食生活に戻ってきました。
それらのいわば、ハウツー本に比べるとこの「無病法」には、具体的なハウツーや注意すべき視点、基になる理論の類はありません。
単に、「食べないとこんなに元気になるよ。いいことばかりだよ。」と書かれています(^^ゞ
ルイジ・コルナロの極少食は「1日に350グラムの食べものをよく噛んで食べ、200ccのワインを飲む。」というものです。
重量が基準になっているのが「へぇ!?」って気がしますが、中世の食の知識では栄養も何もないのだろうから、そんなものなのかな・・・。
それより、なにより、ワイン!!!
イタリア人とはいえ、ここでアルコールですよ。
解説者が突っ込むべきとこかと思うのですがw つっこみはなしです。少食や断食の本で注意書きされているのが「アルコールは駄目!」ですからね。
ルイジ・コルナロの講話の講話のなかで、覚えておこうと思ったのは生卵の黄身だけを1日一個摂る、というくだり。
これは「若さの泉」に書かれていたラマ僧の習慣と同じです。
いくつかの講話の合間に、翻訳者・中倉玄喜氏の解説が続きます。これがいささかゲンナリするんですよね。
この方も、私同様、国内出版の少食本を片っ端から読んで、実践していたらしく、なかなかのウンチクですが、受け売りには違いなく、ルイジ・コルナロの講話に乗じて(^^ゞ 自分が知っている知見や見解を書いているんですよね。
まぁ、都合良く切り貼りしている感が強い。
なかでももっとも「なんなんだ!?」と感じたのが、マクガバン報告書の引用(引用とまでも行かない、我田引水的ネタ使い)ですね。
マクガバン報告書というのは、1977年当時のアメリカのフォード大統領が、「医療費にこれだけお金をかけているのになぜ病気の国民が増えるのか?」という疑問を抱き、アメリカ上院栄養問題特別委員会を発足させ、その委員長を務めたのがジョージ・マクバガン氏で、レポートの名前はこれに起因します。
まとめられたマクバガンレポートは「動物性食品の問題点」を指摘したため、全米畜産業界や動物飼料の生産業界などから猛反発を受けて、闇に葬られたのです。
問題なのは、マクバガンレポートのなかに理想的な料理として日本食が勧められている、ということになっていますが(中倉玄喜氏もそのように引用して解説しています)ここが問題です。
実はマクガバンレポートは良くも悪くも良いように利用されているんです。
実際には日本食に触れたくだりは、以下の部分です。
報告で日本に触れたのは、1976年7月に行われた公聴会における疫学的観察を紹介した部分だけである。
米国に渡って、動物性脂肪をほとんど含有せず、また乳製品をほとんどまったくといっていいくらいに含有していない伝統的な日本式の食事から、西欧式の食事に転換する日本人にあっては、乳癌及び結腸癌の罹病率が劇的に増えている。
このように、日本の食についてではなく在米日本人の食の変化を動物性脂肪の害に関連づけて引き合いに出しているだけで、理想的食事として日本食に触れているわけではありませんし、ここ以外に日本食に触れた箇所はないのです。
あたかもそのような記述があったように紹介した本があって、それを鵜呑みにしたひとがこれを疑うこともなく引用して、そういうことになってしまった、という指摘があり、これはマクバガンレポートの扱い方について異議を唱える人の指摘として知る人は知っています。
また、動物性食品は問題、とする見解について、2014年にTIME誌が「バターを食べよう。マクバガンレポートは誤りだった」と題した大々的な特集号を出しました。
この特集では、動物性食品が良くないと結論づけた実験のやり方の間違いを指摘し、始めに結論ありきだった、と述べています。そして、代替として奨められた穀物の糖分摂取こそ問題なのだ、と指摘しています。
中倉玄喜氏はこのような情報に触れていないのでしょう。他にも中倉玄喜氏の解説にはエビデンスが必要と思われる、いささかアヤシイこともいくつかあります。
ルイジ・コルナロの講話の解説の域を超えているのはあきらかです。
アマゾンのレビュー欄でも、私と同じような見解の方の指摘が見受けられます。
--この本はおそらく中倉さんがされているであろう、玄米菜食を援護するためにコルナロの講話を引用して、訳本の体裁にされたものなのでしょう。
これに尽きますね。
このレビュアーは、このあとに続けて間違いも指摘してあります。私が?に感じた部分でした。
というわけで、高評価レビューが多いのですが、アヤシイ本です。(笑)
【結論】この本はおすすめすることもない内容でした。なんで鶴太郎さんが紹介していたのか、怪訝な気がしますね。ほんとにこの本を読んだのかな? (๑•́ ₃ •̀๑)
少食について本質的なことは「若さの泉」で十分、と思いました。