・・・先日の極、個人的記事に続く気づきのメモ・・・
悲しみが歓びに変わる、と気づいてから花粉アレルギー症状を除けば、体調になんの波風もない。
いつも、どこかしら筋肉や筋、関節に老化に伴う硬さをギシギシと感じるものだけど、それがない。ギシギシがシグナルになってその部位を動かす体操をやる、というのが習慣なのだけど、ここ数日は体のどこも「動かそうよ」とシグナルを送ってこない。ドテッとした重さも感じない。
で、この前座ったとき、なんとなく声を『あ~~~~』っと出してみたら、いつもと全く違って、とても大きな声が出た。(一人暮らしで話す機会がない、声を出す機会が少ないから声帯あたりの筋肉が萎えているのか、あまり声が出ないのです。)*座ったというのは静坐のことで、瞑想ともいえないので、単に座った、と言っています。
大きな声に自分でもびっくりして、たまにはオームを唱えてみよう、とやってみた。とってもしっかりしたオーがでて、そろそろムーに切り替えなくてはならないタイミングになっても続けて、そろそろムーにしないと息が続かない、となってからムーに切り替えた。
どこかにうまい説明がないかな、と検索したら、ヨガスタジオのサイトに素晴らしい解説を見つけました。
ウパニシャドでは「宇宙の根本原理」を表すとされ
心の中で唱えることが重視されていった。
私は伝統的なスタイル。
オーというのは「口ならし」みたいな感じで、メインは口を閉じて振動だけの「ムー」だ、と思っています。
振動だけ感じるのが面白くて(心地よくて)オーは省いて、いきなりムーーーーとやることも多いです。というか、オーというのがうまく出来ない。喉に引っかかってしまうことが多いです。
振動を体中の細胞に響かせて、全体の波動というのか、波長か、よくわからないけど、それらを共鳴して同一にしていく、という作用があると思います。
なので、ものである体とモノ以前のエネルギーのやり取りがスムーズになるのでは、と思っています。音楽療法なども同じ原理かな、と。特定周波数域ごとの違いもあるでしょうが。