他の地域のことはわからないけど、季節がなくなっているのかなぁ。四季のメリハリが無くなっているんじゃないか、と思います。最近の空は夏空と変わらない。周りの木々が枯れているから夏ではない、と思うだけで、空だけ見ていると突き抜けた空気感は夏ですよ。
今朝、体操して見上げた空が違っていた。空というより雲が違いました。雲は水蒸気の塊、と思っていたけど、今朝の雲はとても奥行きがあって様々な層が重なり合ったホログラムのようでした。
数ヶ月前は眼鏡越しで見る方がきれいな景色でした。乱視ですからメガネ無しだとクックリ見えませんので。でも、今は眼鏡越しより裸眼のほうがきれいなのです。どこかどう違うのか、何度も試してるのですが、何が違うのかわからない。そのまま数日経過してようやく気づいたのは裸眼のほうが奥行きがしっかり捉えられるのです。なのでコントラストが強く見えます。深みがましてくっきり見えます。レンズを通すとなにかの要素が削がれるのかもしれませんね。
そう言えばこのようなクリアな景色を見たことがあります。見せられたというのが正しいのですが。25歳ころ、仕事にありつけなくて悶々としていた頃のことです。当時、超常現象とか興味がある頃で高橋信次さんの本を読んでいました。当時、ベストセラーだつたのかな。感銘を受けて「お話会」に出かけたのですが、高橋信次さんはお亡くなりになっており、その日はお葬式だったのです。
対応してくださった方が「アパレルの仕事なら適任の方がいるから。」と高橋信次さんの直弟子のひとりを紹介してくださり、その方(護摩堂節子さん)がカウンセリングしてくださる流れになりました。一ヶ月くらいでしたか。毎日感じたことを日記に書いてそれにアドバイスを頂く、ということをしました。その期間のある夜、何気なく外を眺めると、細い雨が降って、街頭に照らされた景色が息を呑むようにきれいでした。明治通りに面した表参道交差点近くのマンションでした。そのことを護摩堂さんに話したら
それはあなたの守護霊さんが見せてくれたのです。
今いるとこだけが全てではない。こんなにきれいな世界があるのだよ。と知らせたくて。
ふーん。でした。他にもこの守護霊さんは『この人はいつもソファに寝転がってあーでもない、こーでもない、と考えごとばかりしている。』と報告したそうで、これにはムッとしたことを覚えていますw
つまらんことをチクりなさんな。
そこしか見てないのか。
守護というのもムカっとしますw
話がズレました。その後、その時のような美しさの景色はまったくみることがなかったのですが、今見ている富士川の眺めはあれと同じ。あるいはあれよりもっと確かな要素がある、と思います。
視覚自体が変化して、今朝の雲で気づいたように遠近感が細やかに見られるようになっているのかな。空も雲もそれか変わったのではなく、自分の感度が変わったのかなぁ。たしかにその可能性が一番に考えられます。
確かめようがないけど、自分だけじゃなく、実際の空も空気も変化しているのでしょう。
サンゲージングでも光は随分変化していると思います。微細になっている。ほんの数秒でも相当のエネルギーが吸収できたのか胸のあたりが暖かくなることもあります。
このところ日差しのある日が続いているので毎日、富士川の川原で座っています。不思議なのは富士川の流れる音が穏やかというか、細やかで小さくなってるんですよ。一昨日だったか、その前くらいだったか、川の音に混じって女性コーラスが聞こえました。讃美歌なのかせいぜい10人に満たない女声のアカペラです。
はぁあ~
空耳ちゃうんかい?
もちろん始めはそうかしら、と思って、耳を澄ましたけど、間違いない。聞こえてた。短いフレーズで、その時限りだったけど。聞きながら木内鶴彦さんの臨死体験の本に書かれたいた事を思い出しました。
木内鶴彦さんの死んだ時の体験
臨死体験ではなく、確かに死んだのだそうです。なので臨死体験というのは間違いなのだとか。あまりに突拍子もない体験で科学分野の職業だったこともあり、口外できずようやく30年後に出版という形で公表しました。初版は1914年
一度あっちに行った体験のあと、自分の意志で気になる場所(タイムゾーン)に行き来できるようになった木内さんは、いろんな時代の様々なシチュエへーションに行けるようになり、そこからこっちに戻るときにいつも聞こえる音楽があったそうです。
ある時「ダッタン人の踊り」を聴いたときにその時の音楽がこの曲だったと知ったそうです。
※聴けば「ああ聴いたことある」というメロディです。文末に動画置いときます。開始1分辺りからが合唱です。
この体験談にはもっとおもしい体験がたくさん書かれていてとても興味深い内容でした。織田信長が本能寺で死んだことにして、その後ローマにいって枢機卿になっていた、とかねw