
前々回と続けて取り上げているQFS(量子金融システム)に参加するには前提条件があり、それがネサラゲサラと言われている法律です。この法律がない国は参加できないようです。※ネサラとゲサラは国家/世界の違いです。
National Economic Security and Reformation Act
Global Economic Security and Reformation Act
*正確にはジェサラと発音するようです。
その前に、この法律がアメリカで成立するまでの経緯をご紹介します。それを知るとこの法律の意義がより伝わると思います。

はあ!?
もう成立しとるんかいっ!!!
夢のような内容や言うてたけど、あっさり成立したんかぃっ!
それ、眉にチョンチョンになるでぇ。ほんまかぁ?
そうなんです。これが驚きなんですが。最後の仕上げはクリントン大統領がサインして成立したんですよ。クリントン大統領!?書き間違いじゃないですよ。あのヒラリーの夫。金融資本の上層ですよ。なぜ彼が!?
はじめにネサラの概念を考案したのはジョン・F・ケネディ大統領でした。
彼は就任前から通貨発行権が国家から民間銀行のつくったFRB(米国の中央銀行)に渡ったことを問題視していました。

FRB=Federal Reserve Board
(フェデラル・リザーブ・ボード)連邦準備制度理事会
FRB=Federal Reserve Bank
(フェデラル・リザーブ・バンク) 連邦準備銀行
おまけ
FEDはFederal Reserve System
(フェデラル・リザーブ・システム) 連邦準備制度
12の民間銀行は、自分たちが作った制度に「連邦準備制度」といういかにも国家のものであるかのように思わせる名称にしました。当時、彼らの力はまださほど浸透してはいませんでしたが、ケネディ大統領はロスチャイルドなどの資本家と CIA によるアメリカ支配を認識していました。彼らの作った「連邦準備制度」が国家の金を収奪すると看破していました。
就任後、大統領令で「通貨発行権」を取り戻し、新紙幣も発行していきました。※1963年6月4日Executive Order 11110 (大統領令11110号)
(大統領令11110)は財務省に明確な権限を与えた。「財務省にある銀地金、銀、または標準銀ドルを担保に銀証券を発行する」権限。
米国財務省の金庫に保管されている銀1オンスごとに、政府は物理的に保管されている銀地金に基づいて新たな通貨を流通させることができる。
この結果、2ドル紙幣と5ドル紙幣合わせて40億ドル以上の米国紙幣が流通した。10ドル紙幣と20ドル紙幣は実際には流通していなかったが、ケネディ大統領が暗殺された当時、財務省によって印刷されていた。
当然ながら、ケネディ大統領暗殺後、彼が発行した米国紙幣は直ちに流通停止となりました。一方で連邦準備銀行券は引き続き国の法定通貨として機能しつづけました。
JFK大統領には通貨発行益を使って、国民の債務を免除、所得税を廃止する、など、後にネサラの概念となる構想がありました。
ケネディ大統領は暗殺後に退役軍人(幹部クラス)などで構成されるSOC(自主組織集団)を作っていましたが、暗殺事件後、この組織は”実質的にアメリカを支配する闇の勢力”と、より強力に戦う意思を固めたのは当然のことだったでしょう。
その後、4人の大統領が続きましたが、巧妙にその勢力を強めた金融資本の言いなりでした。しかし、5人目のレーガン大統領は違いました。政界や経済界の事情を知らずに就任した、とされますが、そうかなぁ。彼は俳優だったので、ハリウッドの空気を敏感に察知していたと思われます。
就任後3ヶ月で暗殺未遂事件が起き、レーガン大統領は銃弾が肺に達するほどの重症でしたが、わずか10日で退院。これが「強い大統領」のイメージに繋がり人気が上がりました。犯人のヒンクリーは精神異常とされ無罪となり物議を醸しました。この事件はナンシー夫人の占星術熱に一層拍車をかけました。ナンシー夫人はすべての日程について占星術師にアドバイスを求め、それに従うようにしました。
一説によれば、ナンシー夫人が星占いに熱中したのは、「1840年以来、ゼロで終わる年に当選した大統領はすべて在職中に死亡する。」と云うジンクスを気にしたからではないかとも言われている。このジンクスはレーガン大統領に寄って終止符が打たれた。
レーガン大統領は政府の無駄を見直すため「グレース委員会」を発足させました。その報告にはFRBの欺瞞が指摘された内容がありました。このあと、表立った動きではなく密かに彼らを抑え込む法律の準備に取り掛かりました。
当時「アメリカ農業組合請求訴訟」が起きました。これは政府と連邦準備銀行(FRB)と金融資本家たちが農民から農地を取り上げることに抵抗してきた農場主たちや、彼らに賛同する軍人たちの長い法廷闘争の延長上にありました。
被害者たちに共感し支援した人々の中にハーヴェイ・フランシス・バーナードという人がいました。彼はシステム理論の民間の工学コンサルタントで、「債務は経済成長を阻害する最大の経済要因であり、複利は最大の「道徳的悪」であり債務の原因である。」という理論に基づき、諸法案を提案し、【National Economic Stabilization and Reformation Act(国家経済安定改革法)】と名付けました。
ケネディ大統領暗殺後に組織を強固にした*SOC(自主組織集団)はバーナード案を基に条文を詰める作業を進めました。
*実際の作業に関わった組織については確証がありません。金融資本抵抗組織であることは間違いありませんが、特定できる情報が見つかりませんでした。ワタシ的にはTSCではないか、と思いますが。
そして、「アメリカ農業組合請求訴訟」の最高裁判決に基づく(農地取得のための)改革法を装って、項目別に細分化し、少しづつ法律にしていきました。すべて法律にし、同時に執行すればNESARA ネサラ(国家経済安全保障改革法)になるわけです。
レーガン大統領任期中にはすべての法律化に至らず、次期大統領はクリントンになっていました。クリントンはバリバリのGS傀儡でした。あと少し、というところでクリントン大統領はサインを拒否しました。そこで大統領を取り囲み脅してw強引に完了しました。*実際銃で脅したようです。
当時は民主党が強く、金融資本支配も堅固なものになっていたので、クリントンはこれが執行されることはない、と踏んでいたようです。
多少の齟齬はあるかもしれませんが、これがNESARA ネサラ(国家経済安全保障改革法)の成立までの道程のようです。水面下で行われたため、法律になっていることは知られていませんでした。
水面下での動きを知りようもなかったバーナード博士は持論が政治に反映されないので、2000年にネットで公開。さらにはNESARA研究所を設立しました。
金融資本は「NESARAネサラ」の効力に危機感を持ち、世間の目をそらすために大々的にネガティブキャンペーンを張りました。その出処をいかにも怪しいものと思わせる作戦です。そう、いつものあれ。「陰謀論」
ブロガーのナンシー・B・デットワイラーという女性が、自分がネサラを作ったとして、両者間で激しい論争が展開されました。又、ネサラを語った詐欺事件も起きるなど、ネサラはすっかり「夢物語、詐欺のネタ」という事になっていきました。一体どんな法律なのか、知られることがなくなってしまいました。そのことがさらにアヤシさを増して、陰謀論の箔が付いてしまいました(>_<)
※当時はまだディープステイツという単語はなかったようなので、DSとせず金融資本としました。
補 足
クリントン大統領がサインして以降の流れが書かれた資料。9.11が必然だった経緯なども書かれています。ネサラ法の内容についても書かれています。翻訳記事なので意味不明な箇所もありますがご興味あれば。▶NESARAとGESARAに関する啓発と歴史的発展(和訳)