
YouTubeではリアルタイムで急速に視聴数が伸びている動画が流れてきます。先程見たその一つがとても興味深いものでした。さして世間に知られていない方をインタビューする”街録”というチャンネルです。インタビューされていたのは東大理三卒後フリーターをして8年後に医師資格を取得。その後、非正規で医師をしながら、翻訳者でもある、という大脇幸志郎さんです。概要を読むと翻訳本だけでなく著書もいくつか出されています。
エリートコースを外れた生き方を選んだ人がどんな考えをしてきたのか、という興味から見始めた人が多いようです。50分くらいの長い動画なので途中で脱落するだろう、と見始めましたが、この方の話しの進め方は非常に明快で無駄がなく、話の内容そのものも真っ当で、分別のある考えなので共感しながら最後まで見ることになりました。
話は多岐にわたりましたが、骨子はこういうことかな。
生活とは「目的のない雑多なことの積み重ねで、時に楽しかったりして時が過ぎていく。」そういうものなのに、「健康になることに注力して健康になる目的のために生活している。」それはもったいない話ではないですか。健康になる目的のために生活するのは割に合いませんよ。
健康に良いという多くの情報を収拾し、それを確実に実践する。そのことで達成感を得、且つ、そうではない者に対する優位と考える。これは「健康」とは言えませんよ。
ということでしたね。
大脇さんが翻訳された「健康禍」(著者ペトル・シュクラバーネク)の副題は「」となっていて、帯には「健康はいつから宗教になったのか」とあります。これだけでも、おおよそどんな事が書かれているか想像できますね。ご自身の著書
大脇さんが話された、もう一つの問いかけが「社会における医療の位置づけ」についてで、「医療が出しゃばりすぎているのでは。医療は抱えていることのいくつかを社会に返さなくてはいけない。」というお考えです。本来、裏方である医師が主役になっているのは変だ、と。医師は患者の判断をサポートする立場なのに、指示する立場を当然のこととしている。社会に対して、管理規制的な役割を担っている。それは「医の逸脱」だ、というような違和感をお持ちのようです。
出版の作業が行われている最中にコロナが起きて、社会における医療の位置づけが鮮明になるのを見、「コロナのために人々の生活を規制する」ことに問題意識を強くされたようです。コロナの渦中での問題提起にはいささか躊躇があったものの、最終的には肚をくくって本に書き加えたそうです。
動画での大脇さん自身が淡々と語っている来し方は、高い能力を持ち、且つ「他者からの評価」を全く気にしない人のしなやかな強さがあり、様々なことに対する考えも、社会の風潮に振り回されないクレバーな分別が感じられます。市井にこういう方がおられるということが嬉しくなります。
コメント欄には私と同じような、話されている内容よりもむしろ大脇さんの人柄に魅せられたという感想が多く見られます。
たしかに、昨今、テレビ画面で数十年も昔の東大卒ブランドで、とうとうと喋るコメンテーターにげんなりしているので、大脇さんの清々しさ、少ない単語数で的確に表現する明晰さはレベルの違いを感じます。
人はこの位の世代(アラフォー)になると社会のルールを把握します。賢い人はそれがゲームのルールだと気づく。楽勝ゲームだと突っ走る人、「何だ、ゲームだったのか。」と距離を取る人に分かれるのでしょう。自分は白け組でした。ただ、賢さがイマイチだったから距離を取ってからだいぶもたついてしまいましたねぇ。しんどい時期だったな。
大脇さんは、立ち位置的には東大卒医師のブランドが協力に役立っている。一方、気持ち的には、生活の中に持ち込んだルールを廃して、”だらけて過ごす”目的のない雑事の積み重ねになにかが醸成されるのを待っている、そんな印象を持ちました。
ただ老婆心ではありますが、だらけることなく賢く真摯に生きてきた人だから「怠惰」に対する羨望があるようにも感じます。賢い人が”だらける”のは体験として活かされるけれど、賢くない凡愚が”だらける”のは自滅を確実にすることでしかないのですからw
健康ネタをいくつも記事にしているので忸怩たる思いもあります(>_<)

生活に楽しみがあってこそ、健やかなる心やからな。
健やかな心で身体健やか、ちゅうことや。
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