下らん夢は消去の過程。いずれにしろ佳き方向の流れに乗り漂っていく♪

このところ、またぞろ下らん夢を見せられています。身体も固まってる。外は明るいからとっとと身体ほぐしをして気分を復活させよう。既に外は明るいピーカン天気です。

自分に向いた動きにアレンジしたスワイショウ、柔軟体操などをして、蹲踞。最近は蹲踞の前に足の指の付け根のストレッチをします。
こういう姿勢。「跪坐」と言って、剣道では「正座」とともに控えているときの姿勢だそう。

これやると、足の指の付け根が伸びてすんごく気持ちよく、続けて蹲踞に入りやすい。
蹲踞してると、かーさん猫がやってきてスリスリ・頭ゴンゴンするから、すぐひっくり返る(>_<)

蹲踞の後に休憩気分で半跏趺坐。かーさん猫は前に、遅れてやってくるチビタンは尻の後ろにもたれかかって丸くなる。

うぉい!
邪魔だど~。察しなさい。

 

以前の飼い猫たちはワタシが座ると、すぐに察してスーッと離れて行ってたけど、それとはえらい違い。まー、野良だからしょうがないね。ワタシが外にいるときはこうしてまとわりついて甘えたいらしい。

そうそう、朝の気配が素晴らしかった。朝と言っても10時ころだけどw
空気が軽かった。とても。
最近の空の青さがとても素敵。明るく薄い空色で、あぁ素敵だなー、と見呆ける。

隣のホウノキの葉が日一日と色合いを変えている。紅葉の時期には地味すぎる葉だけど、ワタシは茶系が好きだから、茶色が微妙に変化していくのを眺められるのは楽しい。スマホでは実物とはまるで違う色合いに写る。少し画像補正して実物に近づけた。

 

ぼんやり座っていてふと気がついた。
ずーっと富士川の河原に行く気分にならないのはなぜなのか、について。
夏のはじめに、野生動物の縄張り攻撃にやられた望月さんちのトラ猫タローちゃんの凄惨な姿が目に焼き付いてしまって、それで行く気にならないのか、と思っていた。そのうち記憶が薄らげばまた行く気になるだろう。そうなるまでは仕方がないな、と思っていた。それが、もう半年近くなるのにサッパリと行く気にならないし、どちらかというと近づくことを忌避している感じがある。
『何なんだろうなぁあ。あんなに心地よく、夢中になってたのに。」と川を眺めるたびに思っている。

で、今朝「あそこじゃなくて庭で座りなさい。」ってことなんだな。と思った。富士川の河原と庭で座る違いはわからないけどね。河原は圧倒的な氣だから自分は「受」で、庭は自分と周りの氣が似たようなレベルで呼応できる・・・だから「合」かな??? 「受」から一歩先?

まぁ、気が向くようにやればヨシ♪

 

下らん夢のこと。たまたまTelegramで海外のサイキッカーの投稿を日本人が翻訳引用していた。

不快な感情はこれからの移行に伴っていけないので自然と削ぎ落とされています。そしてその過程で自分の意識上に上がってきます。これは消えていく過程ですから、そこに気持ちを止めず、ただ眺めてやり過ごしましょう。楽しめること、心地よい音楽、美味しいもの、美しいもの、楽しい運動にフォーカスして、すばらしい移行を楽しみましょう。

あ♪ そうだったな。前にどこかでも見たっけ。
下らん夢の下らなさレベルが相当に低いのでw
大概のものは既に削ぎ落とし済み、ってことだわ。

 

 

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