暮らしをコンパクトにしたいな、という気分が盛り上がって整理整頓しています。
整理整頓で断捨離じゃないですw
断捨離はすっかり日常語になっていますが、これ、ヨガに由来しているんですね。
ヨガの行に「断行(だんぎょう)」「捨行(しゃぎょう)」「離行(りぎょう)」というのがあり、この頭の漢字をとって「断捨離」なんですね。
それぞれの行の意味は
- 断行 必要のないものを断ち
↓ - 捨行 必要ないものを捨てて
↓ - 離行 執着することから離れる。
というように深めていくのだそうです。
しかし、これ、「断捨離」を商標登録した人のウンチクですからねぇ。
しかも、この言葉自体を守りたいのではなく「考え方」そのものを守りたいからなんですってよ。
「断捨離」は著者自身が考案・開発した自己探訪メソッドである。
「断捨離」の正しい解釈は、モノに対する執着から解放されることで、心のガラクタも整理され、「今」を自分らしく生きようとする考えである。意識改革や自己改革と言えばわかりやすい。
引用 アゴラコンテンツ http://agora-web.jp/archives/2034370.html
私的にはたかだか整理整頓に「行」を持ち出すまでもない、という感じです。
「必要ない」という発想もイマイチです。
「使わない」
「活用出来ない」
こんな感じでいいんじゃないですかねぇ。
整理整頓するのは見た目をスッキリ、きれいにすることもありますが、そのものの活躍の場を作ってあげたい、というのがあります。
自分はそのもののもつ役割、機能、魅力を十二分に引き出してあげられなかった・・・そういう気分、後ろめたさを一掃したい。
活躍の場がなく停滞しているモノのエネルギーを何とかしたい、という気分。
停滞しているエネルギーは相乗しあって次第に大きくなり、さらに停滞してしまいます。
このような自分の周りにあるエネルギーからの影響って、相当あると思うんですよね。あつい雲になって覆っているので、自分の気持ちの持ちようだけでは、とても打破できません。
具体的行動は、入ってくる場所をつくります。
場所を用意しないと入ってきません。
捨てると新気が入ってくる。
ここまで考えて始めたわけじゃないのですが、ぼんやり思いを広げて気がつきました。
少食を始めた動機、これまでの自分には思いよらない何かが湧いてくるのを待つ、のと同じ行為です。
で、整理整頓の方法ですが、ゴミとして捨てるのは「ものの活躍の場を捜す」こととは逆行するので、役立ててくれる人に渡すことにしました。
ジモティーというシステム、ご存知ですか。地元=ジモティーです。
手渡しできる範囲の地元の人に、ゆずったり売ったり出来るサービスです。
オークションと違って、取りに来ていただけるので梱包する手間が無いのが助かります。
このホットカーペット、「さし上げます」で出したら、登録ボタンをクリックした直後1分も経たずに、問い合わせメールが来たのにはビックリしました。
しかも、その後も次々に問い合わせメールが入ります。
最初のメールの方、「今スクーターでいただきに上がります」と続いて、登録後1時間もせず完了しました。慌ただしかったぁ。
これに懲りて「さし上げます」は止めました。
このエアウィーブの馬鹿高いクッションは半値以下にしてましたが、先程ナイスミドルのビジネスマンにお引き取りいただけました。
この未使用ダンボールも次の日には引き取り手が現れて、今日お渡ししました。
まだまだ整理したいものがたくさんあります。時間的に目標をつくるとストレスになるのでコツコツやっていこうと思います。