私は大半、斜め読みするので(>_<)、印象に残っている本は少ないのです。その数少ない本の中に「奇跡の脳」という本があります。脳科学者が脳出血を起こして左脳が機能しなくなった体験を、まるで実況中継のように記録した内容です。なにせ専門家なので、起きた現象の解説が的確で、脳の仕組みがよく理解できる内容でした。
2008年出版当時は、世界的にかなり話題になっていたと思います。しかし、当時の自分はまだまだ脳の理解が浅く、『脳出血になったら意識があったとしても、発生した部位によっては「文字が文字として認識できない」ということになるのか。』という程度でした。
先日YouTubeでこのテイラー博士の講演ビデオを見つけて改めて脳のことを知り、驚天動地しました。
「自分が何者なのか知りたい」という願いの半分は答えてくれている内容でした!
博士の洞察は単に右脳と左脳の違いについてではなく、人間の在り様を明らかにしていたのです。
なかなか深い内容なので、受け取り方は様々だと思います。うまく説明できるか自信がないので、ここでは今の時点での自分の理解をメモしておく、という意味で記事にしておこうと思います。
一時、右脳開発がトレンドになりましたから、みなさんも右脳と左脳の機能のおおよその違いはご存知ですよね。
この図にあるように、右脳は直感的で左脳が論理性、というようなことですね。
博士はパソコンに例えて「右半球は並列処理装置のように機能し、一方左脳は直列処理装置のように機能するといっていいでしょう。」と言っています。
記憶容量の違いも興味深いですね。これもパソコンで例えるとわかりやすいです。左脳は一時的処理のメモリ、右脳はストレージ。しかも容量無限大。(←下線部分は私見です)
テイラー博士が気づいたのは、このように一般的に知られてきた役割分担的なことではなく、「人の脳は意識(この宇宙を作っている根源的意識)そのものである。」ということです!!!
動画は通してみても20分ちょっとなので興味が湧いたらご覧になってみてください。非常に興味深いです。同じ動画を見ても人それぞれに感じる部分は異なるでしょう。この記事ではワタシ的に興味深い部分、気づきをメモ的に書いておきます。
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朝起きて左目の裏に継続的な痛みを感じた博士は、そのうち消えるだろうとエクササイズをはじめました。最初に博士が気づいた違和感は自分の体を見下ろしたとき、なんて奇妙な姿をしているのだろうか、ということでした。
(以下、動画から拾いました。脳卒中が起きたときの状況です)
体の中で「筋肉、縮め」「筋肉、緩め」という司令する声が聞こえる気がしました。しかしバランスを崩してしまい、壁にもたれかかりました。そして自分の腕を見た時、もはや自分の体とその周りの境界線がわからなくなっていることに気が付きました。まるで私の腕の分子と壁の分子が入り交ざって一体になっているような感覚なのです。
・・・・中略・・・
私はその状態にとてもショックを受けましたが、それと同時に私という存在が周囲の大きなエネルギーと共同体となっている状態に魅了されたのです。
もはや体の境界さえわからない私は、自分という存在が周りのエネルギーと一体となり大きく、大きく広がる感覚を感じたのです。それはとても素晴らしいものでした。
重荷やしがらみのない素晴らしい世界。しかしそうしていると、突然左脳が復帰してまた「声」が聞こえるようになったのです。それら左脳からくる「声」は、「問題が起きた!」「助けを呼べ!」「大変な問題が起きた!」と繰り返し指令を出すのです。私は「これは問題なのだ」と認識し始めました。しかしまたすぐに、その「声」は消え、私はさきほどのエネルギーの共同体となっている意識世界へと押し戻されました。
この後、博士は苦労の末、なんとか職場の病院に電話することが出来、即手術。8年間のリハビリを経て講演できるまでになったのです。
これは脳卒中だ、と気づいた時、咄嗟に「自分はなんてラッキーな脳科学者だろう。」と思ったというとこで会場が湧いていますw
安堵感や至福感が押し寄せてきた。周りと一体化して、自分の境界がわからない・・・。など、その時のことを表現した部分はまるで臨死体験者が語る”臨死体験のそれ”なのが興味深いです。
時折、「これは助けを求めなくてはいけない。」とか、「これは研究にすごく良い体験だ。」などと思ったりもする。博士は「時々、左脳が復活した。」と話されていますが、右脳にもそういう機能があるのではないか、と思います。違うのかしら。
博士は右脳が作る空間を「ラ・ラ・ランド(陶酔世界)」、又、右脳回路を「内的平安の回路」と言い表しています。
長いですが、左脳と右脳をわかりやすく表現された部分を拾いました。
情報は、エネルギーの形をとって、われわれのすべての感覚器官を通って、同時に流れ込んできます。 そしてそれは、この現在の瞬間がどのように見えるか、その巨大なコラージュとなって噴出します。さらに、この現在の瞬間が どのように匂うか、どんな味がするか、どのように感じているか、どんな音がするか。
私は、右半球の意識を通じて、私を取り巻くすべてのエネルギーと繋がったエネルギー的存在です。私たちは、一つの人間家族のように、右半球の意識を通じて互いに繋がったエネルギー的存在です。そしてまさに、今ここで、私たちすべてはこの惑星上で兄弟姉妹であり、世界をより良い処にするためにここにいます。この瞬間、私たちは完全です。私たちは全体です。そして私たちは美しい。
左半球は過去を考え、未来を志向します。左半球は現在の瞬間の巨大なコラージュをもぎ取るように設計されています。そして細部を摘み取り始めます、そしてさらなる細部を、さらにもっと細部のさらなる細部を摘み取ります。そしてそれらすべての情報を分類し組織化します。
私たちが学んだ過去のすべてと関係づけ、未来のすべての可能性に投げかけます。そして私たちの左半球は言葉で考えます。この絶え間ない脳の動きが、私と私の内的世界を、外なる世界に繋げます。
左脳は感覚器から得た情報をもとに自分という”アバター”を作っている。(生まれてすぐは右脳が働き、3歳位から左脳が成長し始めると言われています。)つまり、左脳によって意識全体から引き離された”個意識”が作られる。左脳回線だけで現実への対応に終止したり、論理性優先しているうちに”アバター”は堅固になり、やがてそれだけが”自分自身”だと思ってしまう。多くの人はそうやって意識全体(本質)から遠のいているのでしょう。
過酷な行で悟りを得ようとする行為は、あまりの痛みにより感覚を鈍らせようとする生体反応を使って「左脳の回路」をオフにする試みです。
瞑想やマインドフルネスは左脳回路をオフにする試みです。その結果、卓越した先人たちは全体意識である自分に気づいてきた、それが悟りなのだと思います。ちなみに悟りは体験であり、その後ずーっとその状態か続く、というものではありません。
香りや心地よい音楽などで癒やしを求めたり、ストレスを軽減しょうとする行為は、右脳回路「内的平安の回路」をオンにしているのです。
先日書いた記事「今どこ?」で非現実感、異空間の感覚について書きましたが、これはまさに、右脳が作った感覚、空間なのか、と。
緩んだというより、気がかりが消えた安堵感。自分の境界が曖昧になっているのに、意外にも軽やかな気分・・・。いっそこのままでも悪くない、と思うのも博士が感じたものにごく近い気がします。きっとそれは意識の端っこにつながったからでしょう。
なんか、コロンブスの卵的、嬉しい気づきです。
いろいろと抱え込んでしんどい時は、「今どの回路を使っているのだろう?」と考えて別の回路を試みようとしますが、このように使っている複数の回路を行きつ戻りつするよりも、回路を離れるほうがあっさり解消できたりするのでしょう。
回路は思考の意味でつかってます。
考え方を変えれば・・・
見方を変えてみれば・・・
といったことです。
こむずかしゅー書いてるけど、要は
「下手な考え休むに似たり」
ちゅーやつやな
動画を見ると拙文を読むより「左脳では認識しない何か」を感じると思います。
補 足
動画の文字起こしを翻訳している方がいました。要点と感想文
偉いなぁ