谷川俊太郎の絵本「ぼく」|人間社会内孤独と自然宇宙内孤独

日が経ってしまいましたが2月にNHK、Eテレで「ぼくは しんだ じぶんで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本」というのを見ました。

「ぼくは しんだ じぶんで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本」【番組概要】
90歳になった詩人谷川俊太郎が今年新たな絵本を出した。テーマは「子供の自死」。リモートで行われた絵本作りの2年間、絵を描く合田里美に谷川は何度も描き直しを求めた。意図は何?合田は必死に探る中で、谷川の死への思索、そして子供たちへのメッセージを見つけていく。主人公の自死を読者が「わかったつもり」になることを詩人は拒否していた…。合田の作画をアニメ化し、特異な絵本の誕生を追体験する。
語り:石田ゆり子

引用元:https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/7J3N7LZXVV/
谷川俊太郎さんの絵本「ぼく」の制作過程を追いながら、絵本の挿絵はこれがはじめてというイラストレーターと、企画した編集者、そして谷川俊太郎さんのそれぞれの想いを紹介していました。
三人で共同して絵本を作り上げたという印象を醸し出しながらも、実際は三者三様、バラバラだったことも明らかになっておりました。上に引用した番組メッセージが伝わるだろうか、と思いました(>_<)
編集者の筒井大介さんは自分の思いを元に”死をめぐる絵本シリーズ”「闇は光の母」を企画。そのシリーズ作品のひとつとして谷川俊太郎さんに詩を依頼したのが始まりです。
番組で語った筒井氏の思いは
「自分は子どもの本を作るに当たって、言い方は陳腐になりますけど、最終的には希望を示したい、この世の中は生きるに足るっていうふうに、なんとか言いたい。なかなかそれを言いづらい世界になっているけど、意地でもそれを言わなきゃいけない、っていうふうに思って作ってるんですけど。」

こういう思いで作られている絵本って、正直、うざいんだよね。言葉じゃなくビジュアルイメージで伝えるならともかく。
「ぼく」という絵本はどんなものかというと、発売されたばかりなので全文が紹介できませんが、はじめの部分は出版社も公開しているので引用します。
どこにでもいる「普通の男の子」のごく普通の暮らしぶりを描いた丁寧なイラストを背景に、谷川俊太郎さんらしい短い言葉が綴られています。
イラストレーターの合田里美さんはひとつの場面のために数十枚の絵を手描きで描き、谷川さんに見せる。谷川さんは絵を見ていくつか変更を指示します。ときには絵を生かして詩の方を削ったり。
よく覚えていませんが「おとうさんは おかあさんに 〇〇しないでね」というような部分は削除されました。これは正解だと思いました。この男の子は何も残さずに行ってしまった、というのが崩れてしまうから。
谷川さんは番組で「読者に対して、すごく暗い深い現実に対抗できるような気持になってもらわないと、絵本出す意味はないだろうと思っていたから…」と語り、ここですでに編集者の思いとはまったく違う谷川さんの深い視点が示されます。

谷川さんは続けて、

「人の孤独は〈人間社会内孤独〉と〈自然宇宙内孤独〉が、意識するしないにかかわらず、ダイナミックに重なり合っていると私は考えているので、友達や家族のなかでに生きる〈ぼく〉が【自分を含めた自然に生き、ひいては限りない宇宙の中でも生きているのだ】ということを絵本の中で暗示したいのです。」と。
ここでワタシ的にすごく嬉しくなった。孤独には〈人間社会内孤独〉と〈自然宇宙内孤独〉がある、という指摘は、ようやっと同じ感性に出会ったと思ったので。
私は”詩は単に言葉遊びじゃないか”と思っていて好きではないのですが、谷川さんの詩には感心したり共鳴するものがあります。(たまたま目にした、という程度しか知りませんけどね。)なにしろ18歳のデビュー作がこれですよ。
この世界観(宇宙観)! 18歳でよ!
18歳で〈自然宇宙内孤独〉に気づいてしまったら、それを抱えてのその後の人生は重く長かったんじゃないのかなぁ・・・。
しかし、他の詩を読むと、ワタシの想像を遥かに超えてなかなかタフな方なんですよね。うまくその孤独を手懐けて来られたのでしょう。
ワタシはと言えば、長い時間をかけて少しづつ自分が抱えている孤独感は『浮世の孤独とは別物の孤独だ』と気づきました。高校生の時だったかしら、自分は”かぐや姫症候群”だと思ってました。この星は本来、自分の居る場所ではない。いつかもとの星に還るんだ。早く還りたいよ。とねw

で、番組の話。
制作に関わった三人に加えて、自殺防止のための電話相談にたずさわる「東京自殺防止センター」理事・村明子(むらあきこ)さんのお話も挟まれていました。

相談の時「わかる。」と言わないようにしています。
死にたいというより、生きることができれば生きたいと思っているのだけど、それは状況ではなくて、気持ちが生きられない状態になっているのだと思う。その気持を受け止めるっていうことがすごく大事だと思っています。
自殺した児童・生徒が置かれていた状況を文部科学省が調査したデータも示されました。(原因は)およそ半数が「不明」。周囲から見ても様子が変わらず、悩みを抱えている様子がなかったというケースが多いそうです。
番組の進行につれ、この絵本はだれが読むのだろう?という思いが大きくなりました。
『まさか、これ、子供に読ませるの!?』と。こんな重く怖い概念〈自然宇宙内孤独〉を子供に!?処方箋なしに。
 
孤独をよく知っているのは谷川さんだけで、編集者もソーシャルワーカーも〈人間社会内孤独〉しか頭にないのです。
ソーシャルワーカーは経験的に「単純にコミュニティーで浮いている子供の行動ではないケースもある。」(コミュニケーションで浮いていなかった子どものケースもある)と気づいていましたが。
単純に「辛いときは誰かに話して。話して楽になることもあるから。」というのは〈自然宇宙内孤独〉にはトンチンカンなのです。これ〈自然宇宙内孤独〉に堕ちると言葉が失せます。
ワタシは今でも不意にこいつに襲われます。言葉だけでなく、皮膚呼吸なども低下する気がしますよ。生命活動値というのか、それが急速に低下します。
番組制作者も絵本製作者と同じような視点しか持ちえず、番組も迷走気味になっていましたが、ワタシは谷川さんの言葉に合点し、力をもらいました。
それは番組の趣旨とは外れていたけれど、谷川さんが本当に伝えたい事はこれじゃないか、と思われることでした。(編集者のレベルに合わせた部分とは別に、この機会を活かしてこれを社会に発信しよう、という老獪wな意図も無きにしもあらずと感じました。)
それは「物事に意味を持たせない」「曖昧なままに抱えていく」ということです。

ワタシは性格的にこれが大の苦手でした。ですが、長らくこの世に付き合ううちに、「曖昧なままに抱えていく」事ができないことこそが自分を追い詰め、自分を弱めることだと気が付きました。
気づいたのは多くのものを失ってからで、そういうことでもなければ、未だに何事も突き詰めて回答(意味)を求めていたと思います。
谷川さんは(聞き取れなかった部分もありますが)「何にでも意味づけすることへの疑問」と、「曖昧なままに抱えること」「無為」の意義を話されたと思います。
今は意味偏重の世の中なんですよ。誰でも何にでも意味を見つけたがるわけね、意味を探したがるわけ。
でも意味よりも大事なものは、何かが「存在する」ってことなんですよ。何かが「在る」ってことね。
その存在っていうことを、言葉を介さないで感じ取るってことが、すごく大事だと僕は思ってんのね。なかなかそういう機会はないんですけど。
生きてる上でそういうふうに意味をなんかこう、回収?(聞き取れず)ていうのかな? 意味付けないで、じっと見つめるとか、じっと我慢するとかっていうことがあるんだけど、みんなそういうことはしなくなってるんですよね、意味を見つけたら満足しちゃうみたいなね。
そうじゃないものを作りたいとは思っていますけれどね。
自死した子供の親御さんや周囲の方々に「自死した理由を求めず、ただ事実を受け入れる。」ことを伝えておられたのでは、と思うのです。
この絵本は、我が子が自死した親御さんや周囲の方々への(谷川さんの)いたわりだったのか、と思いました。
 
この記事の下書きは番組放送後の2月末に書いていたのですが、記憶が曖昧なとこを確かめるために検索したら、数年前に長女が自死されて重い気持ちを抱え続けていた方のブログがありました。
・・・「泣きながら見た。自分を責めなくてもいいんだ、と気持ちを切り替えられる力が得られた。」と綴られていました。
書き留めていなかったので曖昧ですが、「(長女は)死んだらいなくなるとは思わず、ずーっと生き続けてるとわかっているからそうしたのだろう。」
というようなことも綴られていました。
この方は「本人が納得してやったことだった。」そう思えたことで一区切りされたのではないか、と思いました。
 
この記事のテーマは「番組」のことなのか、「絵本」のことなのか、「孤独」についてなのか? 
そうなんです、自分でも?なまま書き綴りました。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。
 
ちなみに番組終了間際に「ぼく」を読んだ(読ませた)子供数人に感想を言わせていました。「怖い」と女の子。

オッチャン
そうだよなぁ、こんな本。マズイだろ。
大人が読んでも重くて怖くてたまらんわ。
読後の気持ちの処理に往生するで。
半端な気持ちで作れるもんちゃうやろ。
谷川さんの渾身のメッセージやな。
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コメント一覧
    • コメントありがとうございます。私もこの番組で谷川さんのメッセージを知ることができ、気持ちがゆっくりしました。

      • 初めまして、はへほ様。おはようございます。
        先日コメントを送信させてもらった、さく、と申します。
        普段コメントなど書かないものですので、よくわかっていないのですが、はへほ様、が素敵すぎる、ここでのブログを書いていらっしゃるご本人様だと思いつつ、お名前を書かせて頂きますね。
        まさかこんな一言のみで、ご返信いただけると思っていませんでしたので、大変嬉しく思っています。
        実は私は何を書くにしてもすごく長文になってしまうのですが、ここにふと辿り着き読ませてもらって、私事で恐縮ですが、自分なりには
        「あ、これがいわゆる崖っぷちか」と思っている時に出逢ったこの文章たちを目の前にして、どんな言葉も陳腐だし、心より救われた今、出てくるのはたったの五文字、これしかどうしても書けませんでした。
        初めましてなのに、その挨拶も、「こんにちは」も、そして丁寧語すら省いてしまいました。
        せめて丁寧語にはしないとなとも思いましたが、とっさに出た心の声はこの五文字だったので、失礼は承知で敢えてそれのみ書きました。
        ごめんなさい。
        それと共に、この記事のみならず(記事と言いたくないですが)、他のページも少しみさせてもらいました。
        私の周りの年上の方は全員口を揃え、年取っていいことない、嫌なことしかない。
        色々仰っていることを聞けば聞くほど、年を重ねていくことはそこまで辛くて嫌で苦しいことならば、近い将来は今以上の大絶望でしかないなと、私は抗ってどうにか素敵に年を重ねていきたいな、と反面教師のお手本にすることすら出来なくなる位、日増しにその心はおし潰されていき、そして実際、小さな頃から環境的孤独以外の、孤独に苛まれながら生きてきたので、そして生きているので、未来さえも絶望に埋め尽くされそうになっていました。
        そんな時、はへほ様の植樹(ごめんなさい、植樹じゃないかもしれない)のお話が書かれてある記事も読ませていただき、こんなにも素敵にお年を重ねる方が実際にいらっしゃるんだ、この方もすごく苦しい、辛い、悲しい、或いは空しい等、色んな思いを抱えながらだったとしても。
        と、キラキラの何かが舞い降りてきました。
        コメントを思い切って送信してから、興奮しているのか何なのか心臓がバクバクして、自分の心身に何が起こっているのかわからないまま、お気に入りのフォルダに入れさせてもらい、今ここに再度訪れました。
        すると、はへほ様からのお言葉があり、ものすごく嬉しくなってしまいました。
        心より感謝しています。どれだけ救われたか、それは計り知れない、想像を絶するものかと思います。
        やはり長文過ぎますね。申し訳ありません。
        今日は、こんな失礼な五文字コメントをしてしまったことについて、どうしても謝りたく思い。
        けれど、ごめんなさい、はコメント欄というところからしか書けないので、ご迷惑かけてしまうなとも思ったり。
        また何故か心臓がバクバクいいだしてきました。何かわかりませんが。
        それに伴い、頭がいきなりこんがらがってきて支離滅裂なものを書いていることを自覚し出したので、いい加減ここでいきなりですが、止めますね。
        このコメントは勿論承認せずに、無視して下さいね。
        よろしければ、これからも顔を出させて下さい。
        デジタル時代に初めて感謝。
        はへほ様のお陰で、令和を少し好きになれそうです。
        こんな長文に最後まで付き合って頂きありがとうございます。疲れますよね、読むだけで。
        ご返信はどうかお気になさらないで下さいね。
        またここのブログに訪れ、読ませて頂きますね。
        句読点が多い上、変なところに挟むこと。文字制限を気にするが故の改行しない読みづらい書き方で失礼します。
        はへほ様のブログに出逢えたのは、おこがましいですが、大好きな谷川俊太郎さんからのプレゼントと図々しいことを勝手に感じながら、最後に締めたい言葉をまたまた省きつつ、いざ送信!

        • さくさん、コメントに気が付かなくて失礼しました。一度コメント承認すると次からは承認の必要がなくなり、コメントがあったことに気が付かないのです。コメントがあるとメールが来る、そういう設定にしているのですが、いつの間にかそれが無効になってしまって。
          20年前に大凹みしたのですが、その時からブログを始めて色んな方のコメントが支えになりました。
          よくわからない方とのやり取りですが、それがその時の自分を支えてくれました。何かの御縁ですね。
          細かいことは気になさらず、どの記事でも、コメント入れてくださいね。
          さくさんもブログなさったらいかがですか。無料ブログはすぐに慣れますよ。ライブドアとか。
          なにかしら文字にすると自分でも面白い発見があったりして楽しいですよ。

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