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年末番組で、昨年、話題になった人物をあれこれ紹介してました。大半は中身がバレた、みっともない出来損ないの面々でしたが、素晴らしい方も取りあげられました。
私的に心が洗われる思いで拝見した方、おひとりはスーパーボランティアの尾畠春夫さん。そして、天皇陛下です。
尾畠春夫さんを紹介した記事はたくさんありますが・・・講談社サイトの記事

尾畠春夫さんの映像を見ていて気がついたこと。
眼がキラキラして曇りがない。
いわゆる修飾としての表現ではなく、観察してそう感じました。
そして声。ただ明るい。
ただ、という意味は「話している以外のことを発信していない」という意味)
話される内容ももちろんですが、たたずまいだけで伝わるものがあります。
それは「真心」です。

天皇陛下の誕生日のビデオを拝見していても、同じ事を感じました。
話される内容は、丁寧に選び抜かれた数少ない単語に万感の思いを込めておられて、日本語の美しさに感嘆しました。
声や表情からあふれてくる穏やかで精妙なエネルギー、それは「真心」です。

 

実は年末、私的にテーマになっていたのが「真心」でした。
切っ掛けは「神々の食べ物」という本の巻頭に「人はいろんなものに餓(かつ)えている。」と書かれていたので、ぼんやり、『自分は何に餓えているかなぁ・・・』と思いを巡らせていて気が付いたのです。
それは「真心」です。
私は真心に飢えている事、ひたすら真心が欲しいことに気が付きました。

ジモティーで短いふれあいで感じるトキメキや喜びは、真心に触れることが出来たからなのです。ブロク記事につけられた短いコメントに温かくなるのも同じ。

ちなみに「かつえている=うえている」で
漢字は「餓」「飢」どちらも使うようです。

 

これまで「真心」のことなど考えたこともなかったのですが、「!!!」と気がつきました。
「愛がすべて」なんてまちがっている。「真心がすべて」なのだ。と。世の中、愛と真心を混同している!

私たちの本質は「真心」「真(まこと)」
なのだと気がつきました。

 

私は愛というのが嫌いでねw 
胡散臭いでしょ。愛って。

 

随分昔になりますが、政治ノンフィクション作家の水木陽氏が「愛は人類を滅ぼす―2050年・ヒューマニズムの終焉」という本で
-----「愛とは、人間の欲望の集積体である。愛がある限り地球は「幼年期の終わり」を迎えられない。」

と書いていました。政治ノンフィクション作家だと思ってましたが、こういうものも書くのか、と立ち読みしました。切り口鋭く
「相手に勝手に期待するのが愛。これがある限り人類は成長しない。」というような論点でした。

異議なしっ!!!


相手を自分の価値観で縛り付けるのも愛してるからこそ、なんて妙な話になってたりして。愛って、自分の価値観を写しこむからアヤシイのですよね。

 

愛にはいろんな様相がありますよね。さまざまな愛のカタチ。小説、芝居、歌・・・あらゆる文化エンタメにさまざまな愛があふれていますよね。犯罪にすらね。

又、愛には強さや深さもあります。中にはねじれた愛さえも。
このことが「愛は本質から遠く離れている」ことの証明です。

本質は唯一無二で、しかも全てなのです。
本質に近い概念ほどシンプルです。
そのあらわれが多様であればあるほど本質から離れている。

一方、「真心」について考えると、真心はひとつしかありません。
さまざまな真心はありません。真心が尽くされるさまざまなシュチュエーションがあるだけです。
真心には強さ、弱さなどもありません。
真心はあるか、ないか。だけです。

スーパーボランティアの尾畠春夫さんは人を想う気持だけで動いていらっしゃる。
しかも、そのことを強く自覚しておられ、「自分の勝手でさせていただいているのだから、決して相手のご迷惑になってはいけない。」とおっしゃっています。
ここに(よこしまな気持)愛はありません。あるのは真心だけ。

天皇陛下のお話にうかがえた陛下の来し方は、つねに真心を尽くすことだけに心を砕いてこられたのだと感銘しました。
私の世代は皇室を斜めに見る風潮が強くありましたが、天皇皇后両陛下は皇太子の時から、ただ真心を尽くすことをなさってきて、国民もその真心にうたれ、勇気づけられる事が多く、さすがに軽々に皇室批判をする風潮は消えています。

お誕生日の会見では、これまでになくときに声を震わせられて、自らの心情を素直にお話になりました。
天皇陛下という重いお立場を真(まこと)を貫いて生きてこられた、ひとりの人間の在り様に感銘を受け、深い尊敬を抱きました。

天皇陛下と市井に在る尾畠春夫さんは対極的なお立場ですが、真心を芯にして生きていらっしゃるのが共通しています。
素晴らしい方々に「人としてあるべきかたち」を見せていただきました。

 

 

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1/12日 補足

真(まこと)というのは大和言葉で、日本古来の価値観なんだろうな、漢字が当ててあるけど中華の思想とは思えないぞ・・・、と検索してみると
やはり、「まこと」は代表的大和言葉でした。

大和言葉とは
「やまとことば」という語は古くは「和歌」の意味で用いられ、また「女房言葉」の意味で用いられることもあったが、現在一般的には、漢語と外来語を除いた日本語の固有語を指すようになっている。    引用元 Wikipedia

 

このことから、大和言葉が日本語固有ということは、即ち、概念や価値観を表現した「まこと」は「日本人の本質的価値観」を反映していると思います。

この記事を書きながら「真心(まごころ)」と「真(まこと)」はどういう違いかしら?と考えたのですが、真心は真の心、即ち「心の在り様がまことである」ということかな。

天皇陛下のお言葉や、話された陛下のこれまでの道のりがヒントになり、私たち日本人のアイデンティティーの核は「まこと」にあると気付きました。

ひとつひとつの行いについて「どうすることがまことになるのか」
人との関わりでも「ただ、まことだけで接しているか」
また心の在り様について「今の自分はまことに通じているだろうか」
などと、自らを観察する。

これが日々、心すれば良いただひとつのことなのではないか・・・。
「まこと」は「まことの理(真理)」で、つまり、私たちが存在するシステムの最もシンプルで原初の本質。モノになる前のエネルギーの本質。

と大いなる気づきに至ったのでアリマス。

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