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ヒトは身体とそれを操るもので成り立っている・・・とごくシンプルに考えられています。
操るものとは脳です。
なので「脳死はヒトの死」とされている。
しかし、最近そうではないとわかってきた。

NHKスペシャル シリーズ「 人体 神秘の巨大ネットワーク 」番組公式サイトで以下のように解説があります。
今までは、人体のイメージと言えば、「脳が全体の司令塔となり、他の臓器はそれに従う」というものだった。ところが最新科学は、その常識を覆した。なんと、「体中の臓器が互いに直接情報をやりとりすることで、私たちの体は成り立っている。」そんな驚きの事実が明らかになってきた。そんな新しい「人体観」を、最先端の電子顕微鏡映像やコンピュータグラフィックスを駆使しながらお伝えする。

 

その後、このシリーズでは「脳が身体を統括しているのではなく、身体のさまざまな場所で細胞レベルで反応しているとわかった」ことを、最先端の科学者の解説をCGを駆使して伝えました。

 

番組を見て、ふと思いついた(気付いた)のですが、脳っていうのは人工知能なんじゃないのか!?と。
脳は「本質の自分」ではなく、そのネットワーク端末として活動しているのではないか・・・。
そして、本人はその人工知能こそが自分と思い込んでいる。
この世に生まれてからインプットした経験や知識、集合意識や、その潜在意識、その他諸々のデータを人工知能が処理、蓄積、そして学習しつづけて作り上げたものを自分と思い込んでいる。

これって、そう「自我」ですよねぇ。

 

人工知能(以下、AI)のOSはもともとはひとつのものだけど、人工知能だからさまざまに変容している。個人というもっとも端にあるAIと、その手前にあるハブに相当する民族や同じ価値体系の集合などにより、いくつかの派生OSが存在している。更にそれらのハブの上位のハブがある。
なので個人のAIが学習したことが上位にあるハブに反映されることもあるし、又その逆もある。
上位のハブから時々バージョンアップが為されるが、更新しない個人AIもあるわけです。
この相互に影響し合う反応の速度は文明の進化の加速と同じように、加速していて、人類の基本OSのバージョンアップにつながっている。

 

いろいろと反応する自分を観察していると、大半はこの人工知能の反応ですが、そうではない静寂な反応があることに気がつきます。
この反応はただ「!」とだけ反応します。
気づくだけなのです。
気づいたあとに思考したり、判断したりしません。
ただ「!」と感じるだけ。
気づいた! というだけです。
スポットライトに照らされた「それ」が一瞬見えた、というように。

しかし、そうなる前とは確実に変化したということがわかります。
気づく前とあとでは違う。
より深く鎮(しず)まって静寂が深まる、そんな感じがします。
これこそが本質の自分の活動なのだな・・・と感じます。
(スポットライトの操縦者は誰!?)

そして、変化したのは自分だけの範囲ではなく、何かに影響を及ぼしていることもわかります。
気づいたことにより起きた変化は単に自分の中だけで完結しているのではない、ということがわかります。

 

それは人々の心、気分をシンプルに感じてみるとわかります。
思考ではなく、感じてみる。自分の持ち合わせている感覚(アンテナ)に意識を向けて。

私の世代では、戦後の生活に困窮した世間の空気をおぼろげながら感じましたが、その後、成長期のエネルギーに満ちた世間の空気、頑張ればそれにふさわしい結果が出る、という高揚した気分、バブルの時の舞い上がった気分、そしてバブルがはじけたときの喪失感や打ちのめされた気分・・・
さまざまな世間(社会)の空気感を振り返って、今の空気感を感じると・・・
私たち、とても成熟して賢く優しく、デリケートで、それでいてタフになって、多くを許容出来るようになっています。(近年の大きな災害を乗りこえたからでしょうか)

 

これは成長期にあった各界オピニオンリーダー達による思考・思索による影響とは異なるものです。
得も言えぬ空気感の伝達、拡がりによって為されたものです。
現在はそのスピードか飛躍的に速くなっていて、次第にそこに思考や思索、判断をはさむいとまがなくなっていると感じます。

人々の営みは実はこの「気づきの集大成」に向かっているのではないのだろうか・・・
生きる意味は「何を為そうとするか」や、「為したこと」ではなく、気づくこと自体にある・・・。
ヒト個人だけではなく、ヒト集合体にとっても。

思考による気づき、発見ではなく、おびただしい純粋な「気づき」の連鎖、気づきの収束。
その結果何が起こるのか・・・
思考・思索からの解放では・・・。

 

日々の暮らしのなかで、脳(人工知能)の反応は相変わらずなのですが、これをやり過ごして「!」だけに注目していると、すこしづつ人工知能の反応は存在感を薄めて、その反応が残らなくなっていくようです。
物事の反応が、何となく人ごとのような、あまり切迫した感じがなくなっていく・・・これがとても楽なのです。

見方によってはぼんやりとか、鈍くなったような感じでもないではないですが、なんといっても楽なので、理屈抜きに脳(人工知能)への信頼は薄れて行きます。

自分の範囲で自分を認識、管理しようという意志は薄れて、さまざまな気づきが収束して次の世界を切り開くのを待っている、そんな気分になってきます。

今はわからなくても、いつか
「あぁ。(自分以外の人々の気づきも含めて)気づきが重なってこうなっのだなぁ」
とわかる時が来る・・・。と、確信している自分がいます。

その時、私が感じるのは、自分だけではとても切り開けないスケールの世界でしょう。

 

 

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