上画像、まだ寒いときの夜空。右上はヒサシ。
ここに越して間もない頃、不思議な感覚に襲われることがあった。まったく現実味が感じられない。と言うのは正確ではないか。現実感が感じられないのでなく「非現実感」を感じるのだから。
「非現実感」なんてなかなか感じる機会がないのだけど、このときの不思議な感じはまさに非現実感だったなぁ。現実ではないというはっきりした感覚が、自分の周りではなく、周り一体、この地域全体に感じられた。足元も足の裏に地面から反発の圧を感じることがない。まるで数十センチくらいホバリングしているようだった。
あれこれ大半を喪失した直後も現実感がなくなったけど、あれはいわば失神のようなもので生命の糸がちぎれかかったようなものだった。足元がおぼつかなく、足裏の面積しか地面に接していないような恐怖感。現実が遠のいていく感じ。なので同時に不安と恐怖が増大してそれに押しつぶされていた。
ここに来て感じた”非現実感”はあのときとはまったく別物で、不安感はもちろん、感情が伴わない。冷めた感情でその不思議な感覚を確かめたり味わったりしていた。物珍しさから『なんか面白い。』とさえ思ったなぁ。
その時は、まだ見知らぬ土地になじんでいないからか? 自分の感覚にまだマップができていないからか? と反芻してみたが、そうではないと思えた。未知の土地に行ったときこのような強烈な感覚になったことがないから。
この地が以前住んでいた地とは何かが違うのだろうか?以前の住まいは相当に”気枯れ地”になっていたのか・・・。たしかにここは気が素晴らしい。普通に空気がうまいだけでなくワタシ的感性では気の粒子(イメージとして)が細かい。
この非現実感覚は悪くなく、気に入っていたけど、少しづつ感じる時間が短くなって、そのうち、そんな事があったという記憶だけになっていた。
丸三年ここに居着いているけど、たまにあのときのような強烈なものではないけど近い感覚になることがある。夜中に部屋の灯を消して外を眺めた時。クラ~っと感じる。それは素敵な空間で、自分が薄くなって周りとの境がなくなった感じで霧のように漂うのだ。瞑想のときより澄んで心地よい。
ここは多次元のパラレルワールドだというのも頷ける。それぞれの次元の間には境目がある。水に浮かんだ油のように違いを隔てるものはないが、明確に境目はあるのと同じ。
しかし、何がそうさせるのか知りようもないけど、その境目が薄くなったり、混ざり合ったりする部分ができたりすることがあるのじゃないか。
ふわーっと霧のように異次元が漂っている、そんな時があるのだろう。それはすこしづつ頻度が増していて、スケールも拡がっているのではないのか知らん。
この霧に溶け込んでここから脱出できたら、と想う。
いつのことだったか、凹んだ時に『やはり、いつ逝くかもしれないから没後手続きはしておかないと。』と思った途端に
どういう意味じゃい!?
何もしなくていいったって
こっちにはこっちの流儀があるのに。
立つ鳥跡を濁したくないんだけどなぁ。