悲しみが歓びに変わる|悲しみはあらゆる感情を浄化して歓びに変える

うまく書けるかなぁ・・・。
「これは(自分的に)エポックメーキングな発見」だから、書いておこうと思いながらなかなか書き出しが浮かばなかったこと。とりあえず、書き出してみようかな。

ここんとこ、胸の底あたりからコトコトコトっとかすかな振動があって、こみあげてくるの。はじけながら。
えー、何だぁ、これ!?
って眺めるとそれは「笑い」なんですよ♪ 軽やかな笑い。

えーっ、何が楽しいのかな?
確かに楽しい気分が湧いてくるけど。
なにか楽しいこととか、うれしいこととか
あったっけ!?
思い巡らしても、何も思い当たる出来事や、想いはないんだけど。
笑いって色々ありますわね。
わっはっは、とか、うふふ、とか、えへへ、とか
この湧いてくる笑いはどういうタイプかな?と観察したら、ピッタリ来るものが見つからない。
うふふ、とか、エヘヘとか、そういう軽やかなものだけど、もっと、なんか軽やかなのねぇ。さざなみのように細かく繰り返してる。じっと観察していると共鳴してさざなみが大きくなって「アハハ。アハハハハ。」って声になっちゃった。
それがおかしくて、一段と大きな声で吹き出してしまいました。こんなの初めての体験。

 

これはなかなかに悪くない気分♪ おもろ~♪ いい方向にきてるんだなぁ。なんだかわからないけど。
と嬉しく思ってましたが、数日して気がついた。

あれ。悲しみが消えている。

・・・え!? ・・・消えてるよね。

と、丁寧に眺め回してみました。ない。なくなってる。どこにも悲しみがない。

 

私は55歳の時、ある出来事が起きて大きな喪失がありました。同世代より早くから老後設計して準備していたもの(貯金・個人積立年金、価値観、家族との関係等)が完全に瓦解、失ってしまいました。
そのときのダメージ、消耗はとても大きくて、そこそこの気力が回復するのに15年程かかり、それでようやく現在の住まいに引っ越す事ができました。(毎日を送るだけで精一杯で、考えをまとめたり、それを行動に移すことに必要な気力がなかなか満ちてこなかったので)

年月が経つに連れ、大きな喪失感は悲しみになって、重く自分の内部にじわーっとしみこんで、それをずーっと抱え込んできました。どうにかしたくても、あまりにその存在は重く、悲しみというのは他の感情と違って、消えることがないと思ってきました。
時間とともに少しは薄れていく気がするけど、より深いところに沈んでいくからで、悲しみを乗り越えるとか、気の持ちようで軽くなる、なんてことはないんだな。

それは気づかないふりをしていても、特に何があった、ということもないのに、折々にふぁっと姿を見せる。
「あ!」と、あわてて気が付かなかったことにして・・・。

これから先、悲しみに溺れないようにうまく付き合っていくしかない、と。
そういう年月でした。

 

その悲しみがなくなっている。多分。

・・・いつか又、ふぁーっと出てくるんじゃない!?

と、そーっと眺めてみたけど、多分、もうそんなことはない気がする。ないんだもの。

半日たって、又、気がついた。

・・・消えたんじゃなくて、何か他のものになったんだな。と。

 

ちょっと話が横にそれますが、熱しやすく冷めやすいワタシなんですがwそれでも変わらずいだき続けいる思いがあります。それは「自分は何者なのか知りたい」。四六時中、気にしてるわけではないけど、これが失せたらここにいる存在理由がない、と思う「今生のテーゼ」ですね。
なので若い頃は、その手の本を読んだり、これは、という人が見つかったらすっ飛んでいったり、あとからすぐに「しょうもな!」ということにもお金を使ってきましたわ(>_<)
今では、「チャネリングとか、西洋文明の価値観、論理を通した価値観、信仰などはまやかし。関わると遠回りするだけ。」という結論を出し、外に回答を求めることは止めました。今までは必死にバタバタやったけどその段階は過ぎたな、と。

ですが、一つだけ無視できない概念があります。それはロシアで一大ムーブメントを起こしたウラジーミル・メグレの「アナスタシア」という本。

ウラジーミル・メグレ著『アナスタシア ロシアの 響きわたる杉』(1シリーズのタイトル)で、ロシアにて1996年に第一巻が自費出版されたのち、20ヵ国語以上に翻訳され、シリーズは世界で1100万部セラーとなりました。
それからというもの、そのショッキングともいえる深遠でスピリチャルな内容は、世界中の人々の魂にダイレクトに伝わり、人々の生き方さえも変えてしまっています。
内容はソビエト崩壊後、IT成功者となった著者・ウラジーミルが森の奥でアナスタシアという非現実的な女性と知り合い、彼女が語った独自の世界観、知識を彼なりの理解を交えて書かれています。(とはいえ、大半は?のまま、アナスタシアの語った言葉を読者に正確に伝える、ということに終止している。)
アナスタシアは自分の知恵を人々に伝えたくて、介在者としてウラジーミルを見出したのです。
1万5千年にも渡り、タイガで存在し続けてきたというアナスタシアの一族の存在を含め、あまりに突拍子もないことが多く、ロシアだけでなく世界中で「アナスタシアという女性の存在を含めてすべてがフィクションだ。」という論争が今でも繰り返されているようです。このことについては著者のメグレ自身が、世界的にベストセラーになって以降の巻で事細かに説明しています。実際アナスタシアの教えてくれた生活スタイルを始めた人々のコミュニティが存在すること、そこをアナスタシアが訪れて具体的に指導した経緯など。なので自分的には信じているけど、その後のロシアの状況(プーチンの強引な統制など)をみると、どうなのかなぁ!?という思いはあります。
ま、事の真偽はともかく、語られていることの深遠さに引かれるし、「何よりそうだと素敵♪それはうれしい。」という思いで、仮にフィクションだとしても(素敵な気づきが多いから)構わない、と思っています。
で、このシリーズの二巻だったと思うのですが、「・・・は悲しみが浄化するまで消えない。」という記述があったのです。その時は「悲しみが浄化されるのではなく、悲しみが浄化するのか!?」と、いささか怪訝に思いつつもそのまま読み進みました。しかし、後々、「・・・部分は何だったのか?」と気になって、ページを繰ったのですが、件の箇所が見つけられずじまいです。
今回、悲しみは何に変わって消えていったのかしら、と思いを巡らせる中で、このアナスタシアの言葉がなんども浮かんできました。

あ! ♪
悲しみは歓びに変わったのだ。
だから’なにか愉快な振動’が湧いてくるのだわ。
楽しいと言うにはいまいちしっくりこないこの振動は
まさに「歓び」なんだわ。
と、合点しました。
原初、ここには歓びのエネルギーしかなかった。あらゆる色が集まって白くなる光のように。
それが人のこころを通ると、プリズムを介した光が様々な色に変わって見えるように、さまざまなエネルギー(感情)に変わっていく。変わったエネルギーは空間に漂って、それぞれがくっつき合い(同調)、包含(共鳴)したりして変容している。
次第にエネルギーは落ち着き、悲しみに変わっていく。
悲しみは小さな歓びの種を引き寄せ、育ち、そしてやがて歓びとなって溢れ出す。
この過程を「すべての感情を悲しみが浄化する。」とナスタシアは表現したのだわ。
悲しみが浄化する過程では、人の意識が必要。人の存在する理由がそれなのだわ。
「人の意識」といっても「大いなる決意」とか「深い自覚」という大事ではない。
ただ、ひとが悲しみを見つめている。抱いていることで十分なのだろう。
「ただ」というところがポイント。ニュートラルに、という意味で。
悲しみに溺れず、悲しみに押しつぶされず、淡々と抱いている。(下線部分)が十分条件なのでは。
直観。

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