よく見聞きする言い回しで「ひとりで生まれてひとりで死ぬ」と言われてますよね。でも、これウソですよ。w
生まれる時、ひとりで生まれることは稀です。事件として扱われるような、人知れず産み落とされたようなケースくらいですよね。大抵の場合、出産には介助する人が必要なので、この世へのデビューを迎えてくれるひとがいるわけです。お母さんも「産んでいる」と同時に、ここに出てくる赤ちゃんの背中を押しているわけですしね。
一方、死ぬ方では「ひとり死ぬ」のは「ひとりで生まれる」よりは多いものの、日本では8割が病院で亡くなっているのだとか。
先日のNHK・BS1で再放送の「おうちに帰ろう〜医療者たちの新たな挑戦〜」( 2021年10月23日)を見ながら「ひとりで死ぬのは大変だ。」と思いましたわ。
「おうちに帰ろう〜医療者たちの新たな挑戦〜」番組内容です。
住み慣れた我が家で自分らしく生き、そして最期を迎えるために何が必要なのか…。この春、東京(板橋)にオープンした新しい病院の模索と葛藤に密着した半年間の記録。 この春、東京に、患者が“自宅で生き、最期を迎える”支援を目標とする、その名も『おうちにかえろう。病院』がオープンした。背景には、多くの人が自宅での最期を望みながら病院で息をひきとっている現実、そして多死社会の到来で「看取り難民」が大量に発生しかねない社会的課題がある。新しい病院はどのような方法で患者が家に帰れるようにするのか、患者、家族は何を決断するのか…。模索と葛藤に密着した半年間の記録。
冒頭で、「おうちにかえろう病院」の安井院長の理念を紹介しました。
「死」を不可避なものとして受け入れた上で、医療の力で「その人らしい生き方を最期まで支える」というものです。
安井院長はこの病院をつくる前に、すでに在宅医療(訪問診療)をおこなう「やまと診療所」を開設運営しておられ、治す治療から、生活できるように支援することを主眼にしたあらたな医療を目指してこられたようです。「やまと診療所」は継続して運営されており、「ガイアの夜明け」で取りあげられたようです。
「死」を不可避なものとして受け入れた上で、医療の力で「その人らしい生き方を最期まで支える」というものです。
安井院長はこの病院をつくる前に、すでに在宅医療(訪問診療)をおこなう「やまと診療所」を開設運営しておられ、治す治療から、生活できるように支援することを主眼にしたあらたな医療を目指してこられたようです。「やまと診療所」は継続して運営されており、「ガイアの夜明け」で取りあげられたようです。
「治す治療から、生活できるように支援することを主眼にしたあらたな医療」
いいですね。完治しなくてもそれなりに生活ができる程度の治療の方が助かる患者も多いと思います。完治までの「非日常」は長引けば長引くほど、別の意味で病んでいくのですから。
病気や、年齢によって「向き合うスタンスの異なる医療」が選択できるのはありがたいこと。
今は一律、何が何でも完治を目指す、という医療しか選択肢がない。患者が諦め、病気を受け入れても、医療サイドは別ですよね。なので、患者の方で「治療を受けるさじ加減(病院、医師を選でなどして)」が必要になります。
「治療の可能性を諦めるのは不誠実だ」と考えていることを疑問視する動きが医療の側から生まれているのはありがたい。外部からは言えませんからね。
いいですね。完治しなくてもそれなりに生活ができる程度の治療の方が助かる患者も多いと思います。完治までの「非日常」は長引けば長引くほど、別の意味で病んでいくのですから。
病気や、年齢によって「向き合うスタンスの異なる医療」が選択できるのはありがたいこと。
今は一律、何が何でも完治を目指す、という医療しか選択肢がない。患者が諦め、病気を受け入れても、医療サイドは別ですよね。なので、患者の方で「治療を受けるさじ加減(病院、医師を選でなどして)」が必要になります。
「治療の可能性を諦めるのは不誠実だ」と考えていることを疑問視する動きが医療の側から生まれているのはありがたい。外部からは言えませんからね。
老年になってからも「できる限り長生きしたい」と思う人が多い(らしい)ことが不思議でなりません。いい人生を送ってこられたからこそなのでしょうか。私とてそれなりに満足いく人生でしたよ。精一杯やってきた、えらかったw と。でも、くたびれました。精一杯はそう長く続けられないw そろそろこのへんで失礼します。と、思うことがありますわ。
自分ではどうにもできないしんどい状況が長く続いて、なんだか自分の努力とは関係なくドサクサwで、今の素敵な生活が展開しているのですが、自分の努力の成果ではなく、突然展開し始めたこの生活が終点となることを願っています。
長生きすれば「いつ又どんなことで状況が悪い方に変化するかわからないリスク」が長引くんですもの。
何が起こるかわからないのが人生です。それまで自分の意志、行動で納得のいく暮らしをしてきたのが、突然、想定外の状況になった、という経験は鮮烈で、それまでの世界観が瓦解しました。で、何が起こるかわからん、と骨身にしみたのです。
昨今の自然災害の激しさは身につまされます。呆然としている方の心を思うと本当に大変なこと。老境に片足踏み込んでからの被災はきつすぎる。乗り越えていく気力、体力は家屋とおなじく壊れて打ちひしがれているでしょう。
そういえば、終わった朝ドラ「おかえりモネ」はなかなかしんどいドラマでしたね。あんなヘビィなお話を朝からみるのは大変、意識しての視聴はしかねましたね。時々、ひょっこり見せられただけでも相当しんどかった。
シナリオはいい出来だし、役者もなかなか良く、制作サイドはいい仕事をしたのだけど、だから余計しんどかったですよ。
シナリオはいい出来だし、役者もなかなか良く、制作サイドはいい仕事をしたのだけど、だから余計しんどかったですよ。
被災というのは復興しても、個々人がそれを乗り越えるというのは至難の業。システム的に経験を積む、将来に活かす、ということでしかない。
話がずれましたね。
ま、前出の「おうちに帰ろう〜医療者たちの新たな挑戦〜」番組でも、結果的におうちに帰って亡くなった方は半分ちょっと(よく覚えていない(>_<)けど)でした。家族が希望して入院継続し、そのままなくなる方も多いようでした。
紹介された入院状況を見ていると、『あ~、やはりこんな感じなのねぇ・・・』と思いました。若い病院スタッフがそれぞれに自分にできることを考えて精一杯対応しているのが、逆にしんどい。
多分自分は、彼らの配慮がすぐに分かって、それに応えるには・・・と、頭を巡らせて疲れ果てるだろうなぁ、と。自分を思いやってくれる人へ応えるための気遣いがしんどい。
高校生の時、10日ほど入院した経験があります。その時、病院は「監獄」と似たようなものだな、と思いました。いまは随分変わってホテルみたいになっているかもしれないけど、上級個室でもない限り、お風呂とかトイレは冷たい廊下の先にあるんでしょう。この前白内障手術で半日入院したけど、大して変わってなかったもんなぁ。
自分の希望とは関係ない時間の食事とか、周りに気遣って行動しなくてはいけない、とか、一人暮らしで気ままに暮らしてきた自分には相当のストレスがあるのは間違いない。最後の最後にそんな環境に押し込められるのは罰を受けるのと同じだわ。
この生活の延長でそっとサヨナラするには余程の準備と突発事態が起きないラッキー頼みです。
直前に体調が崩れて入院、そのまま病院で逝くことになるより、結果的にいろんな方に迷惑かけてしまっても、ここで人知れず逝ってしまうほうが私にはありがたく思えます。
そう言えば、今年中に没後対策を整える予定だったけど、ほぼほぼ何もできていない。(>_<)
とりとめなくなってきました、ゴメンなんし。
これ、この前見かけた昆虫。名前を調べる時「落花生 昆虫」でグーグル画像検索かけたらすぐ出てきました。落花生!だもんねぇw 「シロコブゾウムシ」という名前。落花生をひと回り小さくしたくらいの大きさです。頑丈な硬い体はロボットみたいです。