柿の実り
スポンサーリンク

団地のあちこちに柿の木があり、葉が枯れ落ちてからはたわわに実った実が赤さを増してきました。うちの棟の庭にも大きな渋柿が一本ありますが、なぜかまだ青いうちに全部落下してしまいました。
買い物に行くとき通るこちらの棟には2本の柿の木があって、それぞれにかなりの数が見事に実っています。日に日に赤く色づくのを眺めながら羨ましい気分で『そろそろ食べ頃よ。渋柿なのかしら。渋柿でも干し柿にすればいいのに。誰も欲しくないのかしら?』と気になります。
昨日は少し数が減って見えました。

 

引っ越してきて最初に仲良くなったのは団地内の清掃をしている方です。歳は70代なかばくらいで庭木のことをよくご存知であれこれ教えてもらっています。
今日、買い物に出かけて、いつもの道を歩いていたら、向こうから両手いっぱい柿を抱えて足早にこちらに向かってみえました。

食べる!?
これね、下の方の棟の人にもらったのよ。
昨日も同じ棟の違う人にもらっちゃったからあげるわ。

やったぁ~♪
食べる、食べる。ありがとお-
うれしい~♪
柿
直径7センチほどの小さな柿ですが、固くてほんのり甘い。
ヨダレ垂らしながら眺めていたものが向こうからやってきて「嬉し♪愉し♪」で、たて続けに3個食べました。
こういうとき口にする言葉は「おかげさま、さま。おかげさま♪」(ときめき気分なのでリズミカルになります)簡単な言葉ですが、これ、なかなか深い意味です。ワタシ的に。
「おかげさま」で検索すると、だいたいこんな解説になっています。
  • 「おかげさまで・・・できました。」は何事も自分の力だけではなく、見えない部分でも支えられていることを踏まえて、感謝の気持を込め(自身を)謙虚に表現するときに使う。「おかげさま」を単独で使うことはない。必ず「・・・できた」とセットで使う。
  • 「おかげさま」とは仏教から来た言葉で、「かげ」とは見えない力、すなわち神仏のご加護のこと。おかげさまとは神仏の御加護に感謝する気持ち。(仏教だから神を外して仏だけの解説もあり^^;)
はじめの方の解説は「慣用句」としての扱いでなんとも浅いですねぇ。次の解説では仏教語として"我田引水”的。ワタシ的には「(神)仏の御加護」というのが営業的で抵抗ありまくりですねぇw
こんなもんなのか!?と更に覗いてみると、まぁ、これなら、という記事がありました。浄土宗本願寺さんのサイトにある法話です。
曰く「おかげさま」には「諸法無我。世の中のものはすべて単独で存在するものはなく、お互いに関わりあって存在します。」ということが込められている。だから感謝の気持で過ごしましょう・・・。
みたいなことが書かれています。こちらの法話では「世の中の在り様」を「かげ」と捉えていらっしゃるようです。神仏としていないところが深いと思います。
ただえんじ色、下線付き部分は私の解釈で、そうではないかもしれません。
本のタイトルを忘れましたが、確か易の本に
「おかげさまのかげとは「存在のシステム(仕組み)」のことです。」
という文章がごくさり気なくありました。
一瞬、パチンと弾けました。

ああ、そういうことか。そうだよ、そうそう。
だから感謝するというのが引っかかるんだな。
単にシステムなんだから感謝もなにもない。
それに気づくか、気づかないか。それだけ。
気づいたら受け入れるだけのこと。
そう、「おかげさま」はアファーメーションです。!♪の気持ちを声に出して宣言し、すべての細胞に自覚させる。そのための言葉が「おかげさま」です。
言葉にする、口にすることでこれまで刷り込まれた間違った概念をデフォルトします。何度も何度もやって、どんどんデフォルトし本来の自分(本質)に戻る。
自分の本質はシステム上で動く存在ではなく、システムそのものなのだと。
自分は潜在している存在のシステムだと自覚することは対象がないため、感謝するとか愛するという(対象の存在を前提とする)行為は起きようがないのです。
私はいつも「生きていること、生かされていることに感謝する」というのは嘘くさくてヤだな、と思ってきたのですが、それも当然のことだと合点がいきました。
「感謝する」というのは誰かに感謝するんだもの。生きていることを「誰に感謝するの!?」
ここで感謝すると、自分をシステム(本質)から分離することになります。感謝の対象が神仏であれ。そもそも神仏の概念がシステムから分離させるためのものなんだもの。
・・・あ、あ、あ、ややこしいことになってきた・・・・
「おかげさま」は「(潜在して見えない)存在のシステムに気づきました。これを享受します」というアファーメーションです。感謝ではなく享受する。ここに分裂はなく主体の自分が存在のシステムであることを認識した体験しかありません。

ウンチクうさ君
「享受」の意味は
「ありがたく受け取って自分のものにし味わい楽しむこと」
だよ。
「おかげさま」と感じる体験は「(自分は)潜在(陰になっている)システムそのものだ」と気づく体験です。なので、感謝するのではなく「自覚し受け入れる」のです。
これにピッタリの言葉があります。「享受する」です。
暮しの中での様々な感動を「おかげさま」と言葉に出して全細胞に届けてふくらませる。そうすれば感動のセンサーはより鋭敏になり「かげ」を更に享受する体験が増えていきます。
これはレイチェル・カーソンがいう「センス・オブ・ワンダー」です。不思議なことや神秘に感動する感性を豊かにすることに通じます。ちなみにレイチェルは「感動することに比べたら知ることは問題ではありません。」と言っています。
不思議なことや神秘に感動するだけでも素敵だけれど、そのとき「おかげさま」と口に出すと、しっかり(脳を経由せずに)自覚すると思うのです。
話がずれますが、「現代の知」ともてはやされているデジタル小僧達w(ユヴァル・ノア・ハラリとか日本では落合陽一さんとかね)に「センス・オブ・ワンダー」を読め、と言いたいですねぇ。(笑)
ああ~、柿の話からえらいとこに脱線してしもうた。てへへ
次は干し柿がどっかからやってこないかな~w

 

スポンサーリンク
おすすめの記事