「山天大畜」再び|占いは自分の本質からのメッセージ~「辻占(つじうら)」
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昨夜、パニック症が出ました。動悸が始まります。ここに引っ越してきてから始めて。
ひょっとしたら、もう起きないかも・・・、と思っていたけど、この時期(トラウマが起きた時期なので)だからか、世情の影響か!?
直接の関連はないのですが、不安という要素が共通項だから蓋が開いちゃったのかな。
不安はもともとないものなのに人の心が生み出す。
という真理は見抜いたのですが、かつて産み出した不安はなかなか薄れていかない。早く一掃したくてときめきを増産しているのですが、なかなか追いつかないようです・・・。

以前ネットで調べたときに動悸自体は特に問題はないらしく、始まると自然に手が心臓に行くのですが、それはしない方が良いらしいです。あたかも動悸などないかのように、そちらに気を向けないことが薦められていたのが意外でした。

対策としては、ゆっくり呼吸する。これ、あまり効果ないです(^^ゞ やり方が違うのか!?
それより、まったく違うこと、出来れば集中できることをするのが一番効果があります。気分の切り替え。なので、パソコン作業が一番です。

ずーっと気がかりなことを調べることにしました。気がかりではあるが、対峙するには決意が出来ていない案件。
それは「もしもの時のためにどんな準備をしておくべきか?」という課題。
これで検索に集中。

どんなキーワードで検索すればいいのかわからないので「独居 みまもり」とか「没後手続き」等で検索して、近所に司法書士・行政書士などを抱えたサービスチェーン(?)が見つかりました。
相続の手続きが主のようですが、私のように自分の没後についてのサービスもあるかも知れないので、新コロナウィルス渦が収まったころに行ってみよう。

 

逝ってしまえばあとは知らん、ではあるのですが、逝っちゃったことをいつまでも気付かれない・・・というのも近所迷惑な話なので、それが気がかりなんです。
そういえば不動産物件を探しているとき、チラシのすみに「孤独死物件」と書かれたものがあってビックリしましたよ。事件のあった不動産物件ならまだしも、孤独死で・・・。

 

あれこれネットをうろついていたら、気分転換というか、ダマシが効いて動悸は収まっていました。深刻な気分を抱えてはいますが(^^ゞ
その後、ちょっと心の友の語りかけが欲しくなり、こういうときにも易はむいているのではないかと思いつきました。
マーフィ博士によれば、「易は、自分の本質が(今の自分が理解しやすいように)アドバイスを伝えている、とのことなので。

出た卦はなんと、またしても「山天大畜」! 
この前「コロナウィルス禍の意味」を占ったときに引いたばかりです。なので『停滞だったな。』と覚えていましたが、個人向けの記述部分はじっくり読んでいなかったので、もう一度本を開くと・・・。
なんと無造作に開いたページがまさに「山天大畜」の解説ページでした!

 

う、わっ! スゴすぎる!
卦というのは上の卦と下の卦の組合せで構成されていて、きちんとした決まりで順番が決まっているらしいのですが、そこらをまるで理解していないので、出た卦の解説ページを捜すのにひと苦労しています。
このように表になっていて上の卦と下の卦の組合せを探し当てて、そこに書かれているページ数で見つけています。卦には番号が振ってありますが、表ではこの番号は無視されています。解説は番号順になっているので、赤丸囲みの番号でも見つけられます。
*中古本なので書き込みがありました。この数字の意味も不明。
それがいきなり該当ページを開いたのですから、ビックリ、どっきり。これは相当に強いメッセージだ、と思いました。
「山天大畜」の意味はこの記事で書いたとおりです。

個人的な説明のとこをはしょっていたので、簡単に補足すると(意訳)
・・・目の前の小さなことを淡々とやる。嵐の大海に出るより沿岸を航海しなさい。車輪を取り外されれば走行できない。努力しない努力が功を奏するとき。うちにある動物的本能をコントロールしなさい。ぼんやりしていることも必要。

などです。
要は、事を起こす時期ではない、やっても無駄、裏目になる。ただただ堪え忍んで時を待て。

というような事かしら。私が一番苦手な「待ち」です(>_<)

話しが少し脇道に外れますが、先日BSの「クールジャパン」で占いをとりあけでいました。そこで詳しく紹介されたのが「辻占」という占い。
始めて知りましたが、万葉集にも出てくる古いもので、陰陽師の安倍晴明もやっていたとか。今は東大阪の瓢箪山稲荷神社でしかやっていないそうで、やり方も現代風にアレンジされていると解説していました。
どのような占い方か、アメリカ人のA青年がトライした様子が紹介されました。

A青年の目的は「日本にずっと住みたい。この願いは叶いますか?」というものです。
まず初めにおみくじのように箱に入った3本の中から1本の棒を引きます。
そこに書かれていた数字が2でした。この数字は2番目の人を見る、という意味で、占う辻(十字路)を通りかかる人のふたり目の人をよく観察します。
二番目に通りがかった人は原チャリに乗ったオバサンで、十字路で一旦停止して、左を確認して右折しました。

A青年はこのオバサンを見て感じたことを宮司に話します。

私が見る限り、原チャリオバサンはごく普通に左確認して、右折したように見えましたが、A青年はかなりのことを感じ取っていました。

・中年の女性は道がわからないのか不安そうだった。
・子供のことを気にかけているようだった。

などと『え!?そこまで・・・』というくらい詳しく話ししてましたよ。
A青年の話しを聞き終わった宮司が神様にお伺いします。
その答は「日本にずっと住みたい、願いは叶わない」でした。

A青年はガックリしていましたが、あれこれ気がついたことがあったようで、母親に何も連絡していないことを反省してました。母親は日本行きを反対していたそうです。

私的に、この占いは「気付いていないことを本質の自分が気付かせてくれている」のだな、と思いました。当人以外には思いよらないことでも、当人は気付くのだから。易と同じだな、と。

昔のやり方は、黄昏時に辻に立つと、異界の住人の声が聞こえて、それが占いの答だ、とされていたそうです。現代においてはこのやり方は通用しないので、聴覚ではなく視覚によって感じ取るとアレンジされた。しかし、その本質はつながれている、と荒俣氏は解説していましたね。

 

とりとめのない記事になっちゃいました(^^ゞ

 

 

 

 

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