
つい先日気づいたこと。
車の音が五月蝿くない。正確には「不快と感じない。」おそらく音源のウルサさは変わっていない。
移住して1年4ヶ月になる。身延町も古いこの家もとても気に入っていて、私も随分馴染んできたんだけど。唯一残念なのが家の前の国道52号線の騒音。朝早くから午前中は大型トラックが多くて『ほんとに田舎なの?』とゲンナリしてきた。日中も、日によっては結構多い。ただ、夜間と土日は全く走らないから助かっているんだけど。
ある時

ウルサイなぁぁぁ。ほんとにウルサイ。
これだけが残念だわ。なんとかならんの。これ。
パイパスが出来るとか、交通制限とか・・・
ないよねぇ・・・
と、うるさくならない方法はないのか、とブツブツ文句言っていた。いつものことなんだけど。で、ふと思いついたのよ。
「外」に解決を求めても無理なら、「内」に解決を探せばいいんでないかい!?
そうだよ。それそれ。
で、やったことは
「ウルサイと感じなければ良し。ウルサイと感じるデータを処理して脳がウルサイと反応しないものに変更すればOKのはずだわ♫」
五月蝿く感じない、と気持ちをいじるのではなく、その気持ちになる前の段階でいじる。聴覚が脳に伝えるデータを「五月蝿く感じない閾値」に修正する。あるいはそもそも聴覚がキャッチする段階で変えても構わない。
「心地よい、不快だ」と感じるのは音源の(何らかの要素の)数値に脳が反応している。この処理設定で「快・不快」の気持ちが起きる仕組みになっている。これはいじれないから、脳に伝わる前の数値をいじる。「不快」と感じる閾値外にする。
そんな事を考えたのよねー。その時は「そう決めたからそうなるだろう。」って思ったんだけどそれを忘れていた(笑)

何でもあっさり忘れるようになってるなぁ。
脳みそがカラッポに近いと面倒がなくていい、とも言えるけど。
昨日の朝、坐っていて、ふと『そういえば、最近、ウルサイなぁ。って感じてないなぁ。あ!ホントだ、全然感じていないわ。』と気づいた。そしてこれのことを思い出した。

ありゃ。すごい!ほんとにそうなったんだわ♫
よく出来てるなぁー♪
例えば、嫌な人物が発しているもの(言葉にする前のフンイキみたいなモヤモヤとしたもの)のテータを劣化させる。数値を小さく、とか、粗にするとかね。
そのようにイメージする。イメージしたらそうなった。と決めつける(笑)
この作業は一発で決める。「ほんまかいな」なんて気持ちを一瞬でも挟まない。そのスキもないくらい瞬時にやっちゃう。決めたらそれで完了。瞬技だぁ!
集中して「グッと肚に決める」なんて四の五の必要ない。ただ「データ変更!きーめたッ」って感じで、こう発想をするだけでいいんだよね。
上の「嫌な奴のケース」でいうと、この設定変更で「ヤな奴だなぁ」という反応が薄まる。データ処理がうまく出来たていたら「ヤな奴」という反応が消える。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」っていうのは、だいたいこんなことだと解説されているよね。
無念無想の境地にいたれば、火でも涼しく感じるというたとえで、いかなる苦痛も心の持ち方しだいで、凌ぐことができることをいう。
これは大間違いなんだな。「心の持ち方を変える」のは至難の業。それが出来たら苦労はない、ってやつ。「無念無想の境地」そんなの死ぬまでできんわw
そうじゃなくて「心の反応(脳の反応)」を利用して設定を変えればいいんだね。
その前提知識として「外のことに何かを感じる反応は、脳がそういう設定になっているから。」ということを理解する。同じ事象でも人によって反応が異なるのは、この設定が人それぞれ異なるから。同じ人でも、若い頃と年令を重ねてからでは反応が異なる。これは、この設定が変化するからで、変更可能な設定、ということ。
「ある閾値で起きる感情」の設定の変更は「ある閾値」か「その閾値と起きる感情のつながり」の2つを変更することだが、前者のほうが容易だと思う。なぜか?「ある閾値」はピンポイントで変更できるが、後者は汎用性の設定だから、変更するのが大変な上、変更しても慣性ですぐもとの設定に戻ってしまうから。

盛り上がってるとこ、すまんけどな・・・
盆休みでトラックが走らんかっただけちゃうの!?
あ!それね。それは考えたよ。でもね、もう一つ設定変更してたんよ。
「匂い」ニャン親子の糞尿臭で参ってたんだよね。どこからともなく漂ってきてね。暑い中、場所を特定するのも大変で。見つけたら土を被せるんだけど、土がなかなかなくてね。河原の砂を運んできたりして。面倒なことしてた。
それで、「あ!そか。そもそも匂いに気付かなきゃいいんじゃーん。」となって、嫌な匂いはキャンセラーが働くように決めたんだよね。
これも功を奏しているんだっちゃ。♪
この2つともうまく行ってるんだから、この設定変更は有効なんだよ。
もひとつの気付き。草むらの虫の声はソルフェジオ周波数だ。おそらく。このところの坐行、蹲踞の質が高くなっているのはそのおかげ。









